行人坂

午前中、目黒にいました。

写真は行人坂という坂です。
江戸時代にここで大火がおき、江戸を焼き尽くしたのですけど、それが明和9年だったので「めいわく」だし縁起が悪いってんで、安永という年号に変わります。うそみたいなほんとの話なんすが。

目黒のさんまの話はうそだと思うのですが、でもなんとなくほんとのことのように聞こえてくるから不思議です。殿様が弁当忘れてさんまをわけてもらってとりこになるってのは、ちょっとありえそうに思ってしまうんすけども、冷静に考えたらそんなことないか。
ちなみに目黒ではさんま祭りを秋になるとやります。ありえそうと思ってたのはその祭りを知ってたからなんすが、それはともかく。

行人坂を下ると殿様はいませんが、目黒エンペラーがあります。ご想像つくかもっすが、ラブホのようなものっす。


さて、目的地は目黒エンペラーじゃなくて

目黒雅叙園です。昭和の初めにこの地に料亭が開業するのですが、店主は戦争が激しくなる前までこの地で料亭を増築し続けます。で、その料亭の一部が百段階段という名称でまだ残ってます。正確には99段なのですが、階段沿いに6部屋ほどの簡単に言えば和室のような部屋があり、どの部屋も簡単に言えば絢爛豪華です。簡単に言えばって断ったのはわけがあって、簡単じゃ無く説明すると和風というとちょっと違うかもっていうくらい、過剰すぎる豪華だからです。それぞれの部屋に日本画が飾られてますが、その日本画鏑木清方ほか著名な作家が描いたもので、それが天井や壁を飾っています。つか、飾っていますというのはどこか間違ってます。絵が主役ではなくて、絵が空間の一部を埋め尽くしてます。絵のほかに黒漆のなかに螺鈿細工が施され、部屋によっては純金箔や純金泥がふんだんにつかわれ、浮き彫り彫刻があったりとか、手の込んだ組子をもつ建具があったりとか、かたっぱしから隙間なく造作が埋め尽くされてというか、詰め込まれてます。なにもない隙間というのがないっていうか許されてない空間というかなんというか。細工や日本画などの一点一点をきちんと拾って鑑賞すれば美しかったりきれいであったりほんとすごいものがあったりするんすけど、そのうち感覚がマヒしてきます。分類するなら和風なんすが、和風というには憚れるような、マイナスすることを知らないというか、常識しらずというか、開いた口がふさがらない非日常的空間です。よくここまでのものを作ったなあ、というか。へたするとほんとにさっきまであった日常的なものというものが頭の中から飛んでゆきます。頭の中から現実が飛んでゆくということは、施主である店主や戦前の日本の芸術家たちの企みにまんまとのっちまってるのかもっすが(でもってつまるところ戦前のある時期の東京はこういう現実を忘れる空間が必要だったのかもなんすけど)。
その百段階段を改めて時間をかけて見学してたのと、細川家伝来の茶器や細川元首相の陶芸作品の展示ってのをやってまして、それを見学してました。ほんと人がいなくてほぼ貸切状態で見学してたのですが、器をみるときに私は座って景色を眺めたりするんすけど、そんなことをしてたら雅叙園の人が資料をいろいろみせてくれたのものの、5行くらいのメモ書きで、伝来の茶器といっても熊本⇔江戸往復時の目録に現れてるので時代は特定できるらしいのですが、どうやって入手したかはわかんないらしかったり。明らかに江戸時代の茶器であっても、百段階段の部屋の中に置かれるとものによっては斬新に見えてくるのが不思議でした。ひとつだけ書道関係の部屋があってとっ散らかってたのですが、そのとっ散らかり具合と、部屋の装飾が妙にあってて面白かったのと、細川元首相の陶芸作品も妙な空間に負けない個性あるものがいくつかあって面白かったんすが、そのうちの一つの花瓶に生けてる花がほんとはまとまってるけどなんだか花瓶をスポイルしてるというかつまらなくて「ご本人がいけたのですか?」と訊いたら、違ったみたいでした。個性ある空間に個性あるものを置いたときある程度考慮しないとそこに穴があくというか、バランスって難しいな、と勉強になった次第。



キレイとか美しいってのは、たぶんそれはそこに目が行くきっかけなんでしょうけど、それが集まるととんでもなくなるのかもなんすが、雅叙園の百段階段はきれいとか美しいとかそういうものを根底からなにか覆えされそうになる(年中公開してるわけではないのであんまりおすすめできないんすけど)不思議な空間です。
ただし行人坂がちょっときついかもっす。