余震のあと

金曜午後に、「あーまたか」という感じではない嫌な揺れをした地震があって、でも後で確認したら震度的には東京はさして揺れてませんでした。気温もそうなのですが、震度とかたまにあらわされるその数字と実感がかい離してるんではないか、とおもうことがあったりします。最高気温35度とか37度とか書かれてても実感はもっとあるんじゃね?的な。数字にすると小数点以下ではないけど大事な実感部分が切り捨てられてるような、そんなような気持ちがあります。


さきほどの地震、震度○、ってのをきいて、えーそんななの?と思いつつ、公式の発表と自分の感覚のかい離を述べるのは憚られるきがするのはなんでなんだろと思ったら、ちくっとするからねといわれて刺された注射がほんと痛かったことに対して異議を述べるようなのににてて自分の感覚を素直に表現するのはどこか子供っぽいのかもとおもいつつ、やはり他人がそばに居るとどこか他人の視線を気にしてるのかなあ、というところに落ち着いたんすが。


言葉を飲み込みながらも他人がいなくなってひとりになって文字にしてる時点で「午後の地震やな揺れだったー」と誰かに話したくなるところが30超えてもまだ子供なのかもしれないっすが。