三田綱坂

時間に余裕があったので、もう少し寄り道を。というか、一日乗車券を買ってたので途中下車してもとを取ろうという算段です。
麻布十番という不思議な名前の街があってそこからそんな遠くないところにあるのが三田綱坂です。なにかをあきらめたりして平穏にくらすのがほんとにいいのかな、というよくよめばぐっさりとくる田中康夫代議士の小説家時代の短編集(浅葱色の空という短編がすごく印象に残ってる)にもでてくるんすが、本の名前どうりに綱坂に面してちゃんとイタリア大使館があります

綱町三井倶楽部 イタリア大使館
両方とも大名屋敷のあとでして三井倶楽部のほうは日向砂土原藩、イタリア大使館伊予松山藩の屋敷跡。

イタリア大使館 三井倶楽部→
坂の上から坂下方向。三井側の壁が印象的っす。

坂の上の三井倶楽部はこんな建物。三井関係者、もしくはその紹介がないと入れません。ついでに書くとジョサイア・コンドル博士設計の貴重な洋館です。
さて、三田のあたりを歩くとよくわかるのですが、坂の下にはわりと民家が立ち並んでいます。江戸時代の名残というか、大名屋敷が坂の上、普通の町人は坂の下に住んでたからです。三田綱町を「みたつなまち」と読むのですが、綱町からほど近い坂の下の町の旧名が三田小山町で、こちらは「みたこやまちょう」と読みます。番町他例外はありますが東京の場合は武士の住む場所は「まち」で、町人地はたいてい「ちょう」です。今は住居表示実施は「三田」ですが、旧称の綱町は武家屋敷がそのまま大使館や金持ちの屋敷に移行し、旧称の小山町は古くからの町人地がそのまま残ってるわけっす。

ブラタモリの中で出てきた小山町の銭湯あと。家に風呂がないような建物が多かった名残というか。東京の場合は風呂付の家が増えて銭湯って減ってます。うちの近所もありません。すでに都立のたてもの園には保存されて、つまるところすでに銭湯というのは保存対象になってるのですが、銭湯って言葉もそのうち死語になってくかもっす。たまに足を伸ばせる広い風呂に入りたいな、と思うのですが、やはり儲からない業態なのかもしれません。

銭湯の奥の路地を直進すると急坂の階段。東京はほんと坂が多いところです。

振り返るとそこには隙間から見える三田の街並みと、「やめてください」(ほんとは歩きたばこについてです)

三田の近くの麻布十番の神社、江戸時代カエルが水を吐き火事から人命を救ったがま池伝説由来のガマガエルなんてのもあります。
小説に出てきたところや、地理に限らず法律などで江戸時代の痕跡ってのは探すと面白いのですが、これまた他人に説明するのが難しい「ちょっとした趣味」だったりします。もう少し明るい、教養あふれる趣味を持てればよかったんすが、他人に趣味を知らせるために興味を持つわけでもないしなーなどと開き直ってる時点で、どうしようもないのですが。