正しさのこと

たぶん自分の弱さなんだろうけど、「正しいこと」というのがなんとなく苦手で、だから電車の中で席を譲るってのもどこか苦手ですし、譲ってもなんだかその場に居合わせたくなくて、違う車両に逃げちまったりすることもあります。マツキヨに置いてある募金にも小銭入れるけど、ささって逃げる。自分でもバカだな、とおもうのだけど、苦手なもんは苦手なんすよ。そういうの。でもって、席を譲っておいて正しいことが苦手ってのはどっかおれ狂ってるんじゃないかな、ってな気がしてならなくて、苦しいから、私の場合は信仰があって、仏様が善行をすすめてるからってんで、こっそりマツキヨの募金箱に小銭を入れながらつじつまあわせをしてました。
「ああ卒業式でなかないと、冷たい人っていわれそう」っていう昔の歌があったと記憶してるんすけど、自分の中では似たようなものかもしれなくて、正しいことに関する空気が苦手で、「正しいこと」の反対が「よくないこと」とは限らないのだけど、それをしないとなんとなく「よくないひと」って言われてる気がしてならなかったりします。
で、たぶん「正しいこと」ってのはそれを正しいとした瞬間にそれをしない人・それができない人には問答無用で「なんでやらないの」「なんでそんなこともわからないの」って往復ビンタするような暴力的なものって認識があって、なんとなく苦手意識があったりします。
でもってそばで正しそうなことをさも正しいことを云ってるんだぞ・してるんだぞ、ってなふうにやられると自分の中では「あの人ええかっこしいなんかなあ」「こっそりやりゃあいいのになあ」ってなふうに思う厄介なところがあったりします。もちろん口には出しません。でもいいことを言う人と、いいことばかりする人が身の回りにいたら息苦しいようなきがしてました。たぶん私が善人ではないからでしょう。


他人のことはともかくとして、正しいことがほんとは苦手だったはずなんすけど、原発関連のニュース関連をみていて(もちろんシーベルトとかベクレルとかいまいち詳しくなんかわかっちゃいないのですが)内部被ばくを続けると甲状腺がんのリスクが高まることなんかを聞くと、マツキヨで小銭入れるくらいしかしてない私ですらこのまんまでいいのかな、ってな気になってきてて、しかるべき時期に適当な地域へたいした額ではないけどピンポイントで使途を指定できるふるさと納税しようかと考えるようになってて(狙いは医療です)、3月からこっち、善行ってのはやらないよりやったほうがましかもしれないとか少し考え方が変わってきましたです。でもそのうち揺り戻しがくるかもですが。