山滴る

山滴るっていう季語があるんすがどういう情景だかわかるようでわかりません。

たぶんこんな感じなんだろうなあ、と思います。ついでにかいておくと文京区です。滴る森は残念ながら山ではなくて、目白台っす。
季語には不思議なものがあって、たとえば日差しが強くなったころの季語に「風光る」ってのもあるのですが、わからんでもないけどでも「どんな」っていわれると風流を理解できない東男からするとこたえに詰まるものがけっこうあります。俳句や短歌がおっかないのはそこらへんで、どういう意味なんだろう、なんて引っかかると絶対理解できなかったりします。教養があればなんとなかるのかもですが、教養がないと呆然としちまうのですけども。
目白台には芭蕉庵(ただし芭蕉が俳句で身をたてる前の水道工事に関与してたころのもの)ってのもあります。植生も江戸時代とさしてかわってないはずです。こんなところで過ごしてれば俳句をひねろうと思えば、でてくるのかもしれません。そう思っておにぎりをほおばりながら眺めたのですが、おにぎりをほおばりながらがまずかったのか基礎が違うのか、30秒ほど考えてギブアップしました。こういうのは一朝一夕にはむりっすね。