【さくらさくらさくら咲き初そめ咲き終わりなにもなかったような公園】というすさまじい和歌が俵万智さんのサラダ記念日にあるんすが、さくらがなんでひとの心をつかんで離さないのか、っていったら、咲いたらきれいなんだけど、あっという間に散るその光景がすごく印象的・記憶にのこるからでしょう。えっちのときとふだんとの落差の激しい人みたいなものかもしれません。


さくらって花だけでなく見えないその奥の、時系列まで鑑賞してるのかもっす。さくらは散るときも歌われるわけなんすけど、でもなんでさくらだけなんすかね。写メだからきれいを切り取れてませんが、さくらがきれいだからっすかね。