経験則から「世の中に対して言っていいことと言ってはいけないことがある」ことが感覚的にあることはなんとなくわかります。いったらまずいほうは、言い方の問題になってきますけど、ショックを与えることが好ましいことではないとき、いうたらあかんわけです。
ただ「言ってはいけない」ことってのは、たぶんに真実を隠すことではなく、その言葉だけが独り歩きして、誤解を与えるので十分な説明をして聞き手の納得を得られないなら、その場では「言ってはいけない」ということにすぎません。


事実を知らされずに何かを隠されてる、と思ったら人はいらぬ詮索をしだすのですけど、それは不安に油を注ぐ燃料にしかならないっす。不安になればなるほど、人は萎縮してゆきます。
能天気っていえば能天気で、天皇陛下が東京にいるんだからなんとかなってんのかな、と思ってますが、覚悟できてるから、そろそろほんとになにがどうなってるのか、どれくらい危機なのか・危機じゃないのか、実際のところを知りたい気がしないでもなかったり。というのは東京にいると情報ってたくさんあるんすけど、たぶん重要ななにかが隠されてる感があって、実はどれくらい深刻なのかいまいちぴんときてなかったりします。その「隠されてる感」がある限り、人は飲料や食糧に神経をとがらせ続けるのではないか、と思ったり。