二位問題、もしくは比較の問題

二位じゃダメなんですか、ってのと、ナンバーワンにならなくてもいい♪ってのがありましたけど、それで済む人はいいんすよ。「どうしてこうも比べたがる?」っていったら簡単で、比較することで自己のポジションが判るからっす。駿台の模試をうけてたときにああそういうことかー、っておぼろげながら気がついたのですが、他人が居てはじめて自分を自覚できる・外から見ることができることがあるんすよね。ああ、俺は平均より勝ってるじゃん、ってことなら自信につながるわけで。


どんなときでも俺は俺だよ、いちばんだってなふうに思えればいいのですが、そうじゃない場合もあるわけで。人って弱いとき、心のうちでいちばんと信じているだけではダメで、くじけそうになるときにダイジョウブだよ、っていう確証が欲しいはずっす。確証が欲しいけど、うまくいかないときには場合によっては誰かと比べて誰かより上位であることを確認する、という習性をもつんじゃないっすかね。あー違うか、「人が」じゃなくて「俺が」っすね。
そういう浅ましさがあるので、あまりあのマキハラさんのうたが好きになれなかったり。浅ましいこと考えちゃいけないのでしょうけど、二位じゃダメなんですか、ってのを聞くとをふとかんがえちまったりします。


ナンバーワンにならなくていい、ってそれが許されるのはどんな状況でも天性の才能・ずば抜けた才能で生きることがなんとかなっちまう人・やり過ごせる人です。試合でも凡人が戦う場合、データがあったら比較してあいての癖を読んで対抗策をとるとか、必要なんすよ。じゃないと、圧倒的・徹底的に負けちまう・やられちまうから。データがなくても戦いながら彼我を比較して考える時間を稼いで、対抗策を練るのが大事なんじゃないか、って思ってました。
比べるってのは場面と比較対象さえ間違えなければ凡人が生き残る術なのかなあ、なんて思ってるんすけど、凡人特有の底の浅い考えかもしれません。なんだろ「いい人っぽい」ってのには、絶対なれそうにないっす。


日本語ってうまくできてるな、と思うのは、比べる対象がないときは、孤独という言葉が有ります。前例がない、ってのは、ほんと度胸が必要です。誰かが背中を支えて欲しいと思うのをぐっと堪えて、別の分野で孤軍奮闘してる人と自分を比較して、俺もやらなきゃな、なんてふうに考えたりするんすが。