大事なもの

一度もあったことがない人からたぶん否定的文脈としてからかい気味に実際の体型と違う「あなたは○○○なんでしょ?」っていうことを言われたことがあります。私は自分の身体を含めて他人に愛してもらった過去があってその身体や過去やプライドもどこか大事だと思ってるので、否定を否定するために上半身裸の写真を公開したことがあります。露出狂のケがないわけではないですが、裸をさらすことは別に苦じゃないです。過去やプライドを否定されることに比べれば。
人って他人をわりかし平気で否定します。ほんと得がたい経験をしたな、と思ってるんすけど、このときプライドとか名誉ってことを大学の授業以来いろいろ考えました。で、プライドとか名誉って目に見えないから踏んづけてるのも判らないし踏むのに躊躇も無いでしょうし、わからない人に踏みつけるなと要求するのは無理かもしれないと思ってます。


名誉感情とかプライドってのが生きてる人の中にはあることがあるんすよ。目に見えないから、ほんとにあるかどうかの根拠は示せません。で、名誉感情とかプライドが害されると心がかきむしられます。よくあるのは他人による否定ですが、刑法上、名誉感情の強弱は人によって異なるので不明確なのでなかなか正当に評価されません。ただ日本には、名誉をかけて、って言う言葉がありますが、この場合、お金と同等か(だから民事の名誉毀損では金銭賠償っていうのが出てくる)人の命と同等かより大事なものとして位置づけられてるわけです。
命より大事なものがありますか?っていって、ない、って言う人の場合本来あるはずの差異をすっ飛ばすと「他人には大事にしてるものがない」ていう理解になっちまうのですが、人によってはそれがあるんすよ。医療の現場だと、命より大事なものとして人としての尊厳があったりするので尊厳死の問題が浮上します。もちろん人によって違うはずです。たとえばお母さんなんかの場合、子供が愛しければ危機には自分よりわが子が大事でそれを救うとする。命より大事なものがある、ってことは自分と同じくらい・自分より大事なものがある、ってことです。恋愛の相手でも配偶者でも子供でも、愛することができ、守ろうとする・大切に扱う・尊重できるってことであったりします。信仰や仕事に関してもそうです。北アイルランドカソリックは信仰を守るためならロンドンで自爆テロをしますし、ある考古学の研究者は自分の研究について難癖をつけられたことで抗議の自殺をしています。命より大事なものがあって、それが確信を持って進んだ信仰だったり研究成果だったし、名誉だったわけっす。


今年になってから東京の大学の学生が嘘ついて街中で女性を撮影して、ある名誉感情を害するような否定的呼称をつかってネットで画像を公開して大学から処分された、って事件が東京ローカルでありました。嘘をついて撮影して画像を公開したほうは面白がってたらしくどこまで名誉毀損の犯意があったのか・悪意があったのかどうかは知りません。これ、訴えるとすると嫌らしくて、裁判所において相手の悪意を立証しなければならないのでいやなことを振り返らなきゃならなくて、被害者の負担がでかいのです。泣き寝入りを見込んでのことだろな、なんて思ったんすけど。で、そのニュースを知ったとき自分の経験をどうしても照らしちまって、ああやはりプライドとか名誉感情のような目に見えないものは存在しないのと同じになってきてるのかな、って考えちまったのですけど。
たぶん被害が見えにくい他人のプライドとか名誉感情はそんなに大切なものという認識って世の中にそんなにないのかもしれません。海の向こうもおんなじで最近、ニュージャージーで、同室の学生が同性とキスをしてるところを盗撮してリアルタイムでツイッタで面白がって公開した、ってことがありました。その盗撮・公開された学生は自殺してます。人によっては死ぬほどのことじゃないと思うかもだけど、違うんすよ。命より大切なものは、恋人であったり名誉感情とかなんすよ。その大事なものが、否定されたり・面白がられたり・嘲笑の対象になるほどことしんどいことはないんすよ。親愛の情を示すキスというのが、否定・嘲笑の対象になるほどしんどいことはないと思う。「人の恋路を邪魔するやつは馬にけられて」っていうのがありますが覗きにも該当するんじゃね、って思うのですけども。


命より大事なものがない、って思えれば他人を愛することとか誰かを尊重できることも難しいのではないっすかね。
私がよく使う路線では何年か前にはチームプレーで担当を決めて大学生が集団で痴漢をする、っていうのすらありました。なんだってそんな醜悪なことをするのだろ?と思ったのですが、たぶん自分より大事なものがない、持った経験がないってことなんだろな、だから痴漢ってのができるんじゃないか、という推測をしてます。自分の命より大事なものがないから他人にもないだろうと考えて、他人の尊厳や自由を奪っても平気だったのかもですが。


別に自分にとって命より大事なもの・誰かの大事なものがわかんなくったっていいんすよ。大事なのは他人にはあるかもと意識すること、一定の距離をおくことなんじゃないかと。目に見えないけど他人には名誉がある・プライドがある・命より大事なものがある、っていうことを薄々感じていたっぽい昔の人はそこらへんわきまえてて、だから「人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて」っていって人との距離を置くように諭したんだと思うのです。違うかなあ。私も他人の大事なものはすぐにはわからないので、よく知るまでは礼儀を欠かさないようにしてます。うまくいってるかどうかはわからないけど。礼儀作法って距離をおくことでもあるような。礼儀と名誉とか、そこらへんって密接に関係してるんじゃないかなあ、と思うのですが、違うかもしれません。


大事なものでも目に見えないものほど実はほんとは扱いが難しいものなのかもしれないっす。
自分を含めて見えないなにかを抱えてる人って扱いづらいっすね。