腰を使うナニかをしてたときに、そのあと歩こうとして力がへんに入らず上手く歩けなかったことがあります。そのとき腰が笑うっていう言葉を体感したんすけど(それを見ていた相手も笑ってたんすが)腰って笑うんすよね。そんなふうに昔からのことばって身体の感覚が残ってるとおもいます。


で、堪忍袋の緒が切れる、というのもさいきんなんだかよく判るようになりました。身体の持ち主が堪忍袋の緒を切る、わけではないんすよね、あれ。怒りの素を袋に溜め込んでたけど、それが飽和状態になって決壊するような気がします。午前中にぜんぜん進まない用件について電話をしていて、どうも不都合な事項を隠してたっぽいことがわかって、最初はつとめて紳士的に対応してたのですが相手の説明を聞いてるうちに最後のほうは身体の中の堪忍袋の緒が切れたのがわかって、いくらかきつめの言葉が出てきちまいました。云ってからより相手を硬直化させるだけかも・より厄介なことになりかねないかなあ、なんて思ったのですが、いまさら遅いっす。


ただ昔に比べて堪忍袋の緒が飽和状態になりやすい・決壊しやすくなってるのは、余裕がないのかも。エビスさんとはぜんぜん違う風呂場でけっしてふくよかでない貧弱な身体を眺めてて、ああ俺って懐の深さってのがないかもしれないなー、なんて思いました。
そういう問題でもないかもしれませんが。