私は法学部の出で(でも法学部をひらがなに置き換えていちばん最初に「あ」をつけなきゃいけないのですが)その方面の答えってのはさすがになんとかなることがあります。でも、思想や哲学などよその学問を知ろうとする意欲があってもけっこう尻込みしちまいます。思想とかに限らず自分が抱えてる問題、たとえばセクシュアリティの方面でもいいのですが、その学問の誰かの言葉でもって知ろうとすると、表面をつるっと滑ってしまうというか、ここらへん単純に「他人にとって妥当な答え」と「自分にとってわかりやすい答え」がちがうのだろうとおもうのですが、「他人にとって妥当な答え」を「自分にとってわかりやすい答えを待つ自分」に当てはめることが、なんとなく自分の抱えてる問題を吹き飛ばされてる感じちまうのです。で、それは私がその学問の言葉を知らない可能性が高いからで、そこから勉強して考えをめぐらしてあてをつけて、ってのが限りなくめんどくさいのです。本を読むってのはどこか底で勉強とつながってて、勉強が本質的に好きではないので、どうしても尻込みしちまうのです。それとめんどくさいことを考えるのはめんどくさいから時間のないときはなるべく考えるべきではないなー、なんてことを考えちまいます。勉強して、いざわかったとしても、自分が抱えてる問題が解決できなかったらシャレにならんな・時間の無駄かも、ってのもあります。贅沢な人間で、簡単に自分の腹の底から理解できるような答えがほしい、もしくは自分にとってわかりやすい答えがほしい、と考えつつ、それはどだい無理な話で、本にそんな自分に都合のいいことばかり書いてないだろう、そのために勉強をせねばならぬっていう予測がつくので、専門外の本になかなか手が出ないです。ようはめんどくさがりなんすけど。


文学には正解ってなさそうなのだけど、文学を通してめんどくさいことを考えるのはめんどくさいから、時間のないときはなるべく文学の本を読むべきではないなー、なんてこともやはり考えちまいます。文学もその本を書いた人の世界に慣れたり、言葉をしらなきゃまずいのではないか、と思うときがあります。マクベスなんか最たるもので、原典読もうと思えば絶対辞書が必要ですし、翻訳ものでも英国に関する知識がないと苦しいですし、独特の世界になれないと「わけのわからないめんどくさい本」になると思います。ほかの小説でもなんの苦労もなくすーっと自分の中に入れることができるときもありますが、いくらがんばってもできないときもあります。正直に告白すると村上春樹さんの世界観とか言葉ってのに、どこかついていけません。私は村上春樹さんを面白い・面白くないと思える前の段階で、勤務先でも面白かった!とかいえないのはちょっとさびしいですが(別に批評するために読むわけではないんすが)。で、尾を引くこともあります。尾を引くのはなんでか。ものの見方とか、世界のとらえ方とか、自分の中での化学変化があるからっす。文学というのは実は「他人の世界観を理解して、取り込む」こともあるんじゃないか、なんて最近は思ってます。使ってない穴にナニを取り込んだらできれば動いてほしくないのと同様に、慣れるまで時間がかかっちまいます。時間の配分上、近寄らないほうが、身のためかも、って思うときがあります。


でも、丸善へいくととおりすがろうとしてても、本がおいでおいでするというか、得体の知れない熱や芳香をたまに感じることがあって、本棚の前でどうしようかー、と呻吟しちまうことがあるんすけど。