交通博物館あと

浅草に用があったのですが、早く出て神田須田町へ。
ブラタモリ秋葉原編の再放送で交通博物館あとをやってましたけど
↓いまはもうこんな感じです。

交通博物館自体はけっこう広かった記憶があります。左側の幕の張ってる建物の他に電車の走ってる高架下の部分(万世橋駅の遺構を一部)を利用してました。通院していた病院から程近くて(先月写真を載せたニコライ堂から10分もかかりません)なんべんも来てた場所っす。交通なので、各分野の展示があって、ヘリコプターと飛行機が左側の建物の上層部にあったはずです。自動車は一台分解してあって構造がわかるようになってたりしてました。
国鉄→JRが運営してたので鉄道部門がいちばん詳しく説明してあって、まずSLもほんものを一両分解してどういう構造になってるかってのを判るようにしてあり、そのあと電車の台車と制御装置とか実物をつかって小学生にもなんとなく「どうして電車がうごくのか」というのがおぼろげながら理解できるようになってました。信号のメカニズムやトンネル掘削の方法とかも解説があったはずです。で、交通博物館に来るようになったのはメガネを作ってもらってきちんといろんなものが精緻に見えるようになってからのことなんすが、「どういう構造になってるのか」「どういうふうに作ったのか」ってのは以降、気になるようになりました。何割かの小学生がいつか通る道だと思いますが、乾電池とか時計を分解したのは私の場合はたしか交通博物館にはじめていった後だと思います。ただ、工学系には進みませんでしたが。そして交通博物館は世界はいろんなシステム・メカニズムがあってそれに沿ってモノが動いてるっていうことを知った場所でもあります。
交通博物館は小学生の私にけっこう影響を与えた施設でした。中央線から取り壊すのは観察できるんすけど、過去の思い出のようなものの葬送のために、改めて訪問。
で、そもそも耐震面で問題があった、っていうのが閉鎖のきっかけですし壊すのは納得できるのですが、思い入れのある場所が無くなるってのはやはりどこか寂しいもんですね。