美文とことばの裏

船から下りて横須賀の町を南進し、三笠公園へ。

日本海海戦でロシアを破り勝利した戦艦三笠が鎮座してます。


船内では正岡子規の展示をしてました。三笠に参謀として乗船してたのが秋山真之中佐です。で、秋山中佐の友達が正岡子規です。ふたりとも松山の人なんすね。

ちっちゃくてよくわからないかもっすけど、「皇国の興廃此の一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」という意味のZ旗があがってます。秋山中佐の発案で日本海海戦のときにあげて有名になりました。なんでZかというと、Zはいちばん最後です。もう後がないよー、この戦いに敗れれば後がないよー、という意味です。英国海軍がつかってて、秋山中佐は英国にも駐在してたのでその歴史を踏まえてのことのはずです。
念のため書いておくと、商船だと「タグボートが欲しいです」という意味になります。


秋山中佐の文章で
「本日天気晴朗ナレド波高シ」
っていうのがあります。秋山中佐が三笠から大本営に対して打った電文です。正確には
「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ、直チニ出動之ヲ撃滅セントス 本日天気晴朗ナレド波高シ」
なんすが、末尾の部分があまりにも名文というか口に出したくなるような美文なのでいろんなところで語り継がれてます。
秋山中佐は七つの段階を踏んで作戦を立ててました。まず、夜中に駆逐艦と潜水艦で奇襲をかけ、ついで日が出たら連合艦隊の全船で攻撃をしかけ叩けるだけ叩き、日が沈んだらまた残存の艦船を駆逐艦と潜水艦で攻撃し、最後の第七段階ではウラジヴァストークの港の近くに機雷を撒きそこに追い詰めて撃滅させる作戦でした(幸い、最終段階まで行かずに第四段階でロシアが降伏したので秋山中佐の作戦は未完のまま幕を閉じてます)。Z旗のもうあとが無い、ってのは撃滅に失敗してウラジヴァストークまで行かれちまって、体制を整えて戻ってこられると今度は朝鮮と日本の間の補給路が絶たれることになりかねず、どうしても撃滅しないとまずかったのです。
で、実際にはいちばん最初の夜中の奇襲攻撃はよりによって悪天候でうまくいきませんでした。出鼻をくじかれたのです。幸い、翌日の早朝に日本の巡洋艦がロシア船を見つけて警報を発したので三笠からすると「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ」だったりします。で、作戦の遅れを挽回するために「直チニ出動之ヲ撃滅セントス」と書いたのかなあ、と。ここまでは意味がわかるのです。
で、不思議なのは「本日天気晴朗ナレド波高シ」の「なれど」の使い方です。本日天気晴朗、つまりは「昨夜に比べて天気は良い」なんすが続いてるのは「波高し」です。波が高いってのは航海する上ではいくらか危険です。ここらへん、晴れてても風があって波が高いってことなんでしょうけどそれって晴朗というのか?と、ちょっと謎だったりします。古典の文法や電報の作法・語義の素養がないもんで、正直状況がつかめないというか意味がよくわからなかったりします。ただことばの裏というか決意だけはひしひしと伝わるので「(必ずしも状況は万全じゃないけど)やっちまうよ」という決意の文章だと思えばなんとなくわかるんすけども。美文って事実とか、正確さとか、なにかを隠しませんかね。