お気に入りの傘があるのだけど、そのうちのひとつは鉄道忘れ物市で買ったものだったりします。無くしてもいいようなやつなんすけど、でもその傘を仕事に持ってったりしてるうちに妙に執着するようになってきました。一度壊れたんすけど、なんか捨てるに捨てられず、勤務先のそばの修理専門店で直してもらったことがあります。ちなみに父もそういうところがあって、製造中止になってる古いカメラを修理に出して使い続けてました。父が死んだあとに整理したらそのカメラがでてきて使おうかな、と思ってるのですが、修繕しようにも肝心かなめのコニカミノルタがカメラから撤退しちまってるので(部品があるかどうかもわからず)直せるかどうか判らずそのままになってます。でもいつか直したいです。


お気に入りの時計も複数あって、それらはやはり修理に出してずっと使ってます。ところがそのうちのひとつが鎖の部分が切れちまいました(私はずっと懐中時計派です)。最初、百貨店の時計売り場に持ち込んだら、申し訳ないけど鎖は扱ってないとのこと。あーとうとう年貢の納め時かなーこの時計引退させる時期が来たかな、なんておもいつつ御礼を述べてポケットに仕舞ったら、よほどがっかりした顔をしてたのか「あるかどうかはわかりませんが、東急ハンズを当たってみてはいかがですか」というアドバイスを貰いました。でもって、東急ハンズならなんとかなるんじゃないか、っていう淡い希望をもって途中下車して閉店間際の東急ハンズへ。
したら、あるもんすね。懐中時計の鎖だけってのが売ってるのです。
貰いものの時計なんすけどちょっと思い入れのある時計なので、引退させずに済んで良かったです。


ものに何かが宿るってのは真面目に言うと馬鹿みたいですけど、なんか特定のものに対してそんな馬鹿げたことをどこか信じてるところがあります。たとえそれが壊れても「もったいない」というのとは別次元の話で、なぜか直すことを考えちまい、簡単には捨てられなかったりします。