学生時代のバイト先は、大学の最寄り駅から地下鉄で二駅で、よくその二駅分歩いてました。営団の運賃は160円だったはずなんすけど往復320円になる金をちまちま貯めてました。バイト先の食堂も200円くらいで充分な食事が取れたのでよくつかいましたし、書籍は大学生協で買うと割引になってましたから、よく使いました。浮いた分をちまちま貯めて、他のことに使ってたわけっす。で、お金に余裕がなかったときは買おうとするものをよく吟味してた気がします。時間もあったかもしれません。でもって、お財布と相談しながら何かを吟味する時間ってのは至福だった気もします。



社会人になってからはお金に余裕がでてきましたけど、逆にあまり時間に余裕がなくなりました。で、とりあえず必要だと思って買い物に行くのですが、えてして時間や精神的に余裕がないときがあって、そういうときはなんとなくどこか地に足がついてないような決断をしてしまってる気がしてしまうんすよ。そのときはその中で一番いいものを選んだつもりでも、あとで「もっといいのがあったんじゃないか?」と思ってしまいがちというか。私のよく知らないところでほんとはいいものがあって、それに気がついてないだけなんじゃっていう不安なんすけど。
これが買い物ならいいのですが、なにかの決断で他人を巻き込みそうなときも時間がないときはそのときはベストと思ってもあとになって「もっとほかにいい方法があったんじゃないか?」なんてことを考えちまいます。不安になってきちまうんすね。ただ口にはあまり出せないんすけど。



学生時代のように何かを吟味する時間が有ればいいんすけど、時間がなくても不安にならないベストな決断の方法ってのはないもんかな、なんてことをたまに夢想します。でも経験則からして不安は優劣がつけられない選択の場に立たされることでうまれるし、そもそも選択は優劣がわからないから選択を強いられるのであって、また生きるってのは選択の連続だし、不安は決して無くならないんじゃないかなんておもうんすが。とりあえず不安になったときは、別のことを考えたりするのですが、それでも元に戻ってたりします。
もう、この問題何年も抱えてる問題で、付き合ってた相手ともたまにそんな話をしてたのですけども。答えなんかないのかもしれません。