正しさ(一部加筆)

ヤマタネという会社があって、確かそこの人がよく報告、連絡、相談、の三つそれぞれの頭文字をとって、ホウレンソウが大事、なんて語呂をひろめたはずです。実際その通りだと思います。
でも、いうはほんとに簡単で、実現はけっこうむずかしい。コンスタントに報告を上げてたつもりでも、途中でそれが止まって上のほうへ流れてかなかったりもします。管理するほうが事象を俯瞰して修正が図れるときはそれを修正してほしいのだけど、それがないと現場で正しいと思ったことを適宜対応せざるを得なくなる。それで解決できれば問題ないけど現場の対応だけではにっちもさっちもいかなくなってから、報告が途中で止まってることがわかったりし、ぐにゃりとなる。
いちばん重要なのは相談なのかな、と思います。でも、これがなかなか難しい。忙しいとするほうも、されるほうも時間を割けなくなります。忙しいって、心を亡くすですが、いそがしくて深く考えずに居ると間違う可能性っていうのをどんどん考慮しなくなってゆき、自分が正しいって言う思考にとらわれがちになる。そうなっちまうと、人って「自分はこれが正しいとおもってるんだからこれでいいじゃない」って言う断定が最初にくるようになるんです。自覚あるからわかるんすが相談する余裕がないと、これが修正が効きにくい。
これを他の人がやるとよくみえてきて、たとえその他の人が言う「これが正しい」っていう断定が傍から見てちょっとへんでも、断定ゆえにやたらと強いのです。さらにその正しさの確信をもってちょっとものごとを進めちまってるゆえに他人に妥協するのが困難になる。他の人と協調して話を進めなきゃならないとき、意思疎通に欠けちまってすりあわせが困難な場面にぶちあたると、早い段階ですこし突っ込んだ話をしといたほうがよかったな、なんて思ってもあとの祭りだったりする。そういうときは妥協しやすいほうがが妥協したりするんすがもやもやが残る。


「正しい」って、言うのは簡単だけど案外、難しいよなーなんてたまに思います。