国会議員は公務員です。でも野党の場合、与党の大臣や政務官とは違いこれといった職務権限がありません。で、収賄としては「他の公務員に職務上不正な行為をさせるように、又は相当の行為をさせないようにあっせんをすること又はしたことの報酬として、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をすること」という「あっせん収賄」ってのが考えられるのですが、この場合、職務権限のある「あっせんされちまった公務員」が居ないと成り立ちません。
野党の党首周辺のお金の話ってのがあって、選挙区である岩手の秘書の人が逮捕されましたけど、そのうち岩手あたりの「あっせんされちまった公務員」が出てくるのかなー、と思ってニュースを適時みてたものの、出てきませんでした。で、政治資金のクリーンさを与党に要求していた野党の党首に対してあるゼネコンから裏金を作ってダミーの政治団体を使って寄附をしてかなりの資金が流れたわけですがこのゼネコンはいったい何のためお金を渡してたんだろう、ってのがすこし疑問に思ってたのです。お金を貰ったほうが甲斐性を発揮したら大問題にもなるんすけど。



政治資金とはほんとに関係ない話を今日していてああそうか、って思ったのですが、ある程度の人の意識のなかに「人の期待にこたえることは善いことである」っていう思考と、その底に「期待にこたえた私を相手は特別視してくれるのではないか」っていう美しい思い込みがあるんじゃないか、って思うのです。困った人の前で恩を売っておけば後でなにかに与れるかもとか、褒めて欲しそうな人を褒めておけば多少のわがままを言っても相手は拒否しない、っていうのがよくあるパターンでしょう。このメソッドって一応の効果があるというか人が動くこともあると思うのですが、どこか相手を飼いならそう支配しよう管理しよう、って言う感覚だよなー、なんて思ってました。反発を招きかねない部分があると思います。でもってこのメソッドって、あまり私は実践では使いません。相手って管理できるものではないし、こちらの期待どうりに動くって言うのはよほど親しいか球技でチームを組んで敵チームに勝とうとしてるとき以外はあまり期待できないですから期待するだけ損だと思っているところがあります。
ただ「人の期待にこたえること」ってのはその行為自体は麗しい行為だし「期待にこたえた私を特別視してくれるんじゃないか」ってのもわからないでもないのです。ミツグ君アッシー君の世界観にちかいっすけど。


話を元に戻すと岩手の一件は「ミツグ君でもいいから尽くす」→「いつか振り向いてくれるかもしれない」っていう構図だったんだろうなー、と。なにをいまさら、って感じですが自分の中では腑に落ちました。お金を出したほうは尽くしておけばやはりいつか見返りが、って期待してたんじゃないかな、って思うのです。でも、あっせんした様子もないところをみると(それがあたりまえなんすけど)、なんだか報われない恋の話みたいに思えてきたんすが。