受動喫煙防止条例(一部加筆)

神奈川県で受動喫煙防止条例というものが成立します。県知事さんが旗を振って成立させようとして今月中になんとかなるはずです。成立すると学校や官公庁や駅など公共性の高い施設については来年春から原則「何人も非喫煙区域内においては、喫煙をしてはならない」っていう「禁煙」になり違反者には罰則が科されます(ただし施設内に喫煙所を設けることは容認されてます)。さらにホテルや大型旅館、大型飲食店などは「禁煙か分煙を選べる施設」とし、やはり喫煙禁止区域での違反者には罰則が科されます。こちらは罰則が適用されるのは再来年の春からです。なお小規模私的施設は禁煙や分煙といった非喫煙禁止区域を設けることは絶対しなければならないうわけではありません。


禁煙を公的機関が強制することの是非についての議論ってのは前からあります。以前、公職選挙法違反の罪で未決拘禁期間中に喫煙を禁止された人が禁煙を強要されて精神的苦痛を被ったとして国家賠償法に基づく損害賠償請求をした事件がありました。この事件は最高裁まで争って、禁煙が「煙草の愛好者に対しては相当の精神的苦痛を感ぜしめる」ものであっても拘禁施設の秩序維持や「喫煙に伴う火気の使用に起因する火災発生のおそれ」等のため喫煙制限の必要性などを総合考慮すると喫煙の禁止という自由の制限は必要かつ合理的なものであるし「喫煙の自由は、憲法13条の保障する基本的人権の一に含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」と判示して請求を「棄却」してます(最大判S45・9・16民集24-10-1410)。
で、この裁判において喫煙の自由というものを「憲法13条の保障する基本的人権のひとつに含まれるとしても、あらゆる時、所において保障されなければならないものではない」という表現で述べてることから読みようによっては最高裁基本的人権として認めてるようにもとれます。
もっとも自由に吸っていいというわけではなく「制約をうけやすい」ということも匂わせていますが。


タバコを吸う人からするとタバコの煙はどってないことかもしれないですが非喫煙者にとってはタバコの煙は不快であることがおおいです。マナーとしての分煙はJRをはじめとしていたるところではじまってます。で、喫煙の自由ってものがあるからにはもし条例といった性質のものをもって喫煙の禁止という自由の制限を科すならば必要かつ合理的なものでなきゃいけない必要があります。そこで県は受動喫煙によって健康被害をもたらすこともありえることから非喫煙者の県民の健康を考え、受動喫煙を防止するため公共空間での喫煙禁止を条例の趣旨としてて、たしかにそれなりの説得力はあります。
JRのマナーなんかは「受動喫煙がおきやすい公共の場所でのマナー無き喫煙=禁止すべきこと」なんすけど、こんどの条例は誰も文句を言いにくい「健康」を盾にしてして「健康によくない受動喫煙がおきやすいから公共の場所での喫煙を原則禁止すべきこと」にすりかわり「違反者には罰則あり」で禁煙を強制しておきつつ、公共的空間でも小規模私的施設では禁煙が努力目標になり違反者を罰しないっていうつくりになってます。どこであろうと非喫煙者受動喫煙の害を一方的に受けることにはかわりはないしその防止のための条例でありながら公共の場所や大型飲食店での喫煙は罰則があって小規模私的施設での喫煙は罰則がないっていう、微妙にへんなものなのです。誰のための何のための条例だかよくわからないことになってる気がします。
もうひとつ根本的な疑問として個人的には喫煙禁止空間でタバコを吸うことが「罰則」を「適用」して対応すべきことなんでしょうか。マナーや公衆道徳啓発で解決すべき問題を罰則のある条例で強制することにちょっと違和感を感じます。それとも神奈川の喫煙マナーってそんなに悪いのでしょうか。でも条例制定に踏み切ったってことは条例が必要って考えてるんでしょうけど神奈川県知事閣下はわが県民はマナーがない、って認識してるのと同義です。よく神奈川県民は虚仮にされてて黙ってるなーと思います。


へんな条例でも条例には変わりありません。私は嫌煙派ですが条例に従わねばならぬ神奈川の愛煙家の皆様に心から同情申し上げます。


喫煙、禁煙をめぐる問題はどう折り合いをつけるかはひどく難しい問題だと思うのですが、なんだかマナーの強制というか道徳的なことが強制される息苦しい嫌な世の中になったなー、と思います。もっともそう思うのはテメエが正しいことが苦手だから息苦しさを感じてるからかもっすけど。