阪神大震災のときは大学生になっていました。垂水に友人が居たのですが被災したわけでもないです。自分の中では「震災後」「震災前」ってよくいうのですが、なんというか非常に大きな出来事でした。当時新聞社にいて写真関係のバイトをしてたのでいやというほど被災地の写真を見てきたのですが、写真というのはほんと雄弁です。地震でどういうふうになったか、ってのは見れば一発で三宮駅の北口の但馬銀行のビルが傾いててそのそばのビルは完全に倒れてました。見覚えのある景色でしたから、正直ほんとかな、って疑りたくなるような写真だったわけっす。実際、事実だったわけっすけども。地震になったら建物が壊れる、ということをそれまで知識としてしってたものの把握できてなかったので見覚えのあるものでやっと地震とはそういうものなのか、ってことを知りました。
想像はできるけど世の中は想像を超えたもっとすごいことが起こりうる、ってことを自分の中で認識したのが阪神大震災です。


で、その年にオウムの事件も起きます。オウムのサリン事件のときは私は都内の病院にいて、救急車が結構来て、院外の薬局のテレビを見ておっかないことになってるな、と感じた記憶があります。いつもなら動いてる営団地下鉄も止まってました。それまでオウムという集団がいるのは知ってても宗教団体が殺人事件を起こすなんて、っていうのが想像できず衝撃を受けた覚えがあります。そういえばその日、通院先に行くことを知っていた両親は私が実家に戻ったらほっとした顔をしていた記憶があります。あたりまえかもですが、テレビをつけたら死傷者がかなり出てる旨の報道をしてましたから。

現実の世界のほうがSFや創作なんかの想像の世界より残酷です。比較することすら間違ってるのかもしれぬ文字にすれば当たり前のことを震災前・オウム前の私は正直理解していませんでした。毎年この時期になるとそのことを思い出します。残酷なんすけど生きなきゃいけないから、できることなら精一杯なんてこともかんがえはじめたのも震災後です。
私は被災もしてないし被害にもあってないのですが、影響は受けた気がします。


それまで開高健に影響を受けてることを自覚してたはずの何割か文学少年だった私は震災後・オウム後(この二つの事件が影響してるのかどうかわからないけど)心中で化学変化を起こして小説とか文学といったものに対してなんとなく懐疑心がうまれるようになりました。これ、なんのためにあるの?みたいな。熱狂するものが音楽に変わったせいもありますが、それほど本を読まなくなりました。
でも、昔読んで気になったことを知りたいから黒い雨を再読しましたし、たまに物語の中に没入したい欲求に飢えもしてほんとに飢えてるから鴨川ホルモー東海道線のなかでむさぼるように読みました。顔を知ってる知り合いに思わず勧めたくなった鴨川ホルモーを読み終わって、なんとなく自覚したのは「あー文学とか小説ってのはまだ自分にとって必要なんだろな」ってことでした。それがいいことなのか悪いことなのか、これまた判らないのですけれど。