どう働いてどう遊ぶか

よく団交という言葉を聞くと思います。簡単にいうと労使が労働条件等に関して団体で交渉することです。私鉄がストライキを打つ前にやる、あれっす。欧米においてはその職場の組合が会社と話し合いもしますが、職種の如何を問わずに同一産業に従事する労働者を(熟練未熟練の区別無く)組織する労働組合である産業別組合が賃金等労働条件の団体交渉を行います。で、ワークシェアリングなんてのは欧州起源ですが「みんながどう働いて、どう生きるか、どう遊ぶか」というのが特に欧州の文化の根幹であって、生き方に密着してるからか労働条件等について企業や政府と闘う労組を支持します。もちろん企業も社会的責任を考えて失業対策を考えます。フランスで若年層の失業者が増えたときパリのデパートは失業中のイケメンを揃え特注の専用ユニフォームを着せ来店した顧客にエスコートさせて話題になり消費を喚起させました。でもって不思議なことにそういうデパートで買い物をみんなするのです(イケメンが多いから支持したっていう説もありますが)。
欧米はストの多いところっすけど、そういう側面があります。


日本の場合は繊維関係のゼンセンとかエレクトロニクス関係の電機連合とかの産業別労働組合はあるんですが、それらは実質は企業別組合の仲良しクラブ的連合体でしかありません。産業別労組が産業別使用者団体との間でその分野に関する労働条件について欧米のように団体交渉をすることは少ないです。企業ごと例えばマツダの組合員がマツダに対して労働条件について団交を持つのが普通です。マツダ労組の上部組織である産業別労組の自動車総連は(介入することもありますが)普通は動きません。また団交の補完的な役割として日本の労使の間には頻繁に労使協議がもたれます。この労使協議が場合によっては事実上の予めの紛争回避のための意思疎通の場になっていて、例えばトヨタの場合は組合員の雇用を守るために会社に労組が積極的に施策を提案をしたりします。
これら労働問題の慣行は企業別の組合と企業の間での労使交渉は業界横並びでないので一企業内において固有の事情を反映しやすく柔軟に対応でき、またもうひとつの慣行である労使協議制度自体は一企業内での正社員の雇用を守るといった点では先鋭的な対立を回避でき非常に有益でした。実際、労使協調路線が無ければ過去にあったオイルショックバブル崩壊後の不況を乗り切れなかったでしょう。日本がたび重なる危機を乗り越えてきたのはそこらへんにも原因があります。無駄に賃金アップをしたりするのではなく企業ごとに身の丈に応じた賃金アップを労使双方が模索したり、会社の存続を労使が双方とも考えてきたのです。日産の場合もそうで、日産と日産労組は労使ともに協調して危機をのりこえました。ひょっとしたらこれらの労使慣行はかなり特殊なのかもしれません。実はルノーが実権を握って日産をコントロールしはじめリバイバルプランにそって工場を複数閉鎖したのですが、そのリバイバルプランを知って来日したフランス政府の高官がストやデモすら起こらない日本ってほんと不可解だ、と言ってたくらいです。



いま、いろんな会社でコスト削減をしています。
阪急電鉄の場合以前は車掌は全員阪急電鉄の社員でしたがここ数年で子会社の人が増えました。そのほうが安くつくからです。つか、そうでもしないと厳しいのです。JRとの競争にさらされてる阪急は正社員を増やすコストが正直耐えられないのです。
それと根っこは同じなんすけど、今問題になってる労組と無関係な派遣社員の問題もここ数年はコスト的に工場の人員を増やすかわりにいろんな企業が派遣社員に頼らざるを得なかった部分があります。今、日本にある派遣社員というシステムは使用者側からすると便利です。正社員だと福利厚生のコストもかかりますし「販売状況がガクンと落ちたから」なんていう理由で簡単に切れませんし仕事はなくても解雇に時間がかかりますからかなりコストがかかります。でも派遣社員は契約を破棄して人を派遣してくる派遣会社に製品の需要がなくなった時点で通知をして一定の損害賠償を支払えば済みます。正社員を増やすコストを考えると手軽な派遣社員っていうふうになっちまう。たとえば大分キヤノンの派遣従業員は大分キヤノンと契約してる派遣会社に雇われてそこの指示でキヤノンの工場で働いてるのですが派遣従業員は大分キャノンとの間には雇用関係がなく、会社としては在庫がだぶついたら工場に来てもらわないですむように大分キャノンは必要に応じて契約を破棄して損害賠償を派遣会社に支払えばいいわけっす(退職金を派遣従業員に対して直接支払う義務はなかったりします)。正社員だったら明日から仕事無いから来なくていい、なんていえません。労組と交渉したり解雇手当をはずまなきゃならなかったりします。で、派遣社員を利用して労務関係コストを切り詰めて製品を出荷することで海外との競争に打ち勝って会社を存続させてきました。キヤノンに限らずいくつものメーカーがやってきたことです。
それらのメーカーの姿勢やそれを黙認してきた(本来は弱い労働者の味方であるべきはずの)労組は責められるべきものかっていったら、そうではないのではないか、って思います。やはりある企業を存続させ破滅の道を歩むのを阻止し労組組合員を中心にある一定の雇用を産み出していたからです。でもメーカーやいまの労組のありかたを支持するかっていったら、誰も支持しないんじゃないかと思います。職種の如何を問わずに同一産業に従事する労働者を熟練未熟練の区別無くカバーしようとする欧州と違い極めて内向的というか半径30センチくらいのほんとの身内しか助けてないからです。ここらへん、日本は悲劇です。


で、いわゆる派遣切り問題の派遣社員の雇用先は派遣されてるメーカではなく派遣会社ですから派遣従業員が組合を結成して何かを求めようにも働いてる職場である大分キャノンに団体交渉を求めるのは妥当じゃなく派遣会社に求めるしかありません。キヤノンの問題でありながらキヤノン労組も理屈の上では同じ職場で働いてるのに派遣会社の人たちについては手が出しにくい。ただ派遣会社とて団体交渉に応じたくても、メーカーから受注がなかったら手の打ちようもないのですが。


今回は特に精密機械や自動車産業における派遣社員の問題がクローズアップされていますが、会社側がこうした不安定かつ将来に希望が持てない雇用形態に依存し、同じ職場で働きながら派遣社員と正社員との間に差異があることを知りつつ労組も黙認し労組に取り込むこともせず、労働者の味方のはずの労組の上部組織とてあまり有効な対策をたててこなかったことで今の状態を作り出しちまったわけで、今の状況は労組と使用者側の両方に責任があるようなものなんすけども。今の状況を踏まえ第一義的には同義的にメーカーや労組がなんとかしなきゃ、ってところがあるはずなのですが、どこの会社も労組も身内を守るのに精一杯でそんな余裕はないはずです。
経営スタイルなんかは頭のいい人たちが欧米に渡り多くのをことを吸収して日本に持ってきました。
こんなことを言ってもしかたないっすけど経営スタイルだけでなく「どう働いて、どう生きるか、ついでにどう遊ぶか」というのが文化の根幹であるとする欧米の労働の考え方ももって来てたら、こんなことおきなかったかもしれませんが。