NHKスペシャルを観ました。「デジタル・ネイティブ」という物心ついた時からデジタル製品に囲まれて育った世代が新しい潮流を起こしている、というような内容です。
「デジタル・ネイティブ」の特徴は

1.現実の出会いとネットでの出会いを区別しない。
2.情報は無料と思っている。
3.年齢や属性で他人を判断しない

ってことらしい。番組では10代の未成年の社長が州から起業資金を借り、世界の中から意中のデザイナを選びゲーム等を作成しビジネスとして成功させ、さらに顧客管理をしてるのがその子の12歳の妹、なんて実例があって正直びっくりしました。1と3があるから子供が発注者でもデザイナなんかが気にしないでオーダーを受けてたのです。


デジタル・ネイティブ世代ではないものの、いくらか影響は受けてます。自分にあてはめると1は確かにそうで、わりと区別してません。実名を明かさずに匿名でネットの世界に入ったので知り合った人にリアルにあったりするつもりはいまのところないのですが、ネットで云われたことをリアルで云われたことのように考えるところがあります。「内なる熊体型の問題」ってのとか「恋愛体質」「感想文」に関する話なんかはブログのコメントやネットにいて誰かにいわれなければ考えなかったし、かなり真剣に考えたりしたんですけども。また縁あって何人かでやっていた同一日共同テーマによる同時多発ブログアップなんてのもリアルの遊びと同じくらい本気で前のめりになってやってましたです。
2はこれは半分責務かなー、と思っていました。むしろ自分の知ってる知識を誰かに役立てて貰ったほうが良い、ネットってそういうもんじゃないの?って云う考えがあるので民法772条関連(300日要件)や離婚法とか、知識のある分野は特に間違いのないように書いてきました。
3はそうありたいなー、と思っていますがちょっとむずかしかったりします。例えば腐というある一定の属性の人に途中から相当警戒心を抱くようになりました。それと相手がどういう人かどうかってのは失礼のないように最低限のことは知りたい、ってのはあります。でも根底では年齢や属性はあまり気にしてません。相手と自分には差異があるはずってのを忘れずに接しておけば失礼なことはしないで済むだろう、なんて思ってるのですが出来てるかどうかは自信がなかったり。



ただ、1から3までのことって、ひょっとしてネットに係わり合いのある人ならいくらかは誰もが意識するんじゃ?持つんじゃ?なんておもってたのですが、こういう特集があるっていうこと自体そうではないのかもしれません。それが知れただけでも儲けものかも。


1に付随して書いていて思い出したのですが、随分前にどこのブログでそれを見たのか記憶がほとんどないのですけど「私たちには戻らなければならない現実がある」って云う記述をみて猛烈な違和感があって、なんで違和感を感じたんだろう、って不思議だったんすけど、私にとってネットを通じて得たものや効果は現実なのでその人が持ってるであろうネット≒架空っていう図式に違和感を感じたのかもしれません。


番組中、あるデザイナーが印象的な言葉を残しててweb上では
「大切なのは「何を話すか」だけなのです」
ってのはそうだよなー、そうありたいよなー、と思いました。
なにを話すかが重要なんすけど、誰かの役に立ったり、すべてのエントリを消したあとでも読んでた人に何かが残せてたらいいなー、とか考えてるんですが、なかなかむずかしいっす。