お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ、というときに、なにを期待してるかって云ったら子供だったらもちろんお菓子を期待してることも有るかと思います。
けど、えてしてイタズラの場合、お菓子とかの交換条件だけじゃなくって、相手の困った顔とかのむき出しの素の部分を見たいってのはあるとおもうのです。よそ行きの月並みな言葉をつかったり人前でよい子であることは悪いことではないけれど、でもなんていえばいいのかその人のコアというか計算されていないような本質のようなものは、その人がよい子であるときや月並みな言葉をつかってるときはそとから判断しにくいです。そんなとき、ああ、この人はまだ警戒心を解いてない、ってことがなんとなく判るのだけど、それがイタズラしたりすることによって相手の計算されてないその人の一部分が浮かび上がってくるというか、あ、よそ行きじゃない顔をみせてくれた、っていうことがあります。少なくともちょっとでも好意を持ってる人のそういう部分を見ると、お得感が有ったりうれしかったりします。大人になって判ったイタズラの効用です。
誰だって素の部分は見せたくないことはあると思います。隠してる部分を剥ぎ取られてなんか云われたらムッとくるけど、イタズラなら隠してる部分を剥ぎ取られてもなんとなく許してしまうとおもうのです。子供のするスカートめくりなんてのもそうじゃないかな、と。大人が真剣な顔してスカートめくりをしてパンツの色を批評したら迷惑行為だけど、イタズラでのスカートをめくりは相手の表情ってのをみたいからすることだからどこか笑って済まされるのだとおもいます。


もちろんイタズラは単純に面白いっす。
相手のビールをよそ見してる間に移動したり隠したり、なんてこととか、わたしはたまにやります。相手の表情みてると面白いっす。されたらされたで面白がるようにしてます。
いずれにせよ、イタズラは愛情や好意がないとできないっすよね。
愛情の反対は無視ですけど、愛情の過剰は、イタズラじゃないかなーとおもうんすけど。