そのまんま日記

違う目的で読んでた本で、腑に落ちる言葉を見つけると、言葉を見つけたはずなのに更なる説明の言葉を失います。
なもんですから、そのまま引用します。

時間的・空間的な移動(旅)は、人になんとも言えないエネルギーとドラマをくれる。
見知らぬ空間を観るということが、何故、人にこんなエネルギーとドラマをくれるのか?
その原因ははっきりとはわからない。
きっと人は、生まれるずっと前、どこかに「何か」を置き忘れてきたのではなかろうか?
その「何か」を見つけるためにこの世を移動するのだ。
「そのまんま日記」(東国原英夫角川書店刊2007)より。

東国原知事の言葉を借りると、空間的移動という意味ではブログには書いてないことがたくさんあるんすけど名古屋でも大阪でもやはり有形無形のものを貰ってきました。自分にとって財産がかなり出来てます。一方の時間的移動という意味では、特に社会人になってからこっちは正直つらい経験もしましたけど生きてきたことで(付き合った相手を含めて)これまたいろんな人に出会って助けられてきたのです。そして財産という言葉では言い表せないくらいのもの有形無形のものを手にしてきました。
なんで必死に動いてきたか?っていったら動いてるときはそんなこと考えなかったですけど、自分の中の伏流水的なところというか、この「自分が必要とするものなんだけど、どこかに置き忘れたような何か」を見つけるために動いてたのでは?という仮説が妙に腑に落ちたのです。たぶん、もらったものが自分にとって血肉になってたり財産になってたり腑に落ちることが多いせいかも知れません。自分の行動なのに他人の言葉でああそうだったのか、なんて気がつくのはバカみたいですけど。
この言葉、きわめて個人的なことでひっかかたので、わけわからない文章だったらすいません。
「そのまんま日記」自体は宮崎県知事選と就任直後の混乱を当事者視点で記録したものです。
引用した部分はその記録の末尾の部分で引用されてます。宮崎県内をくまなく廻って首長として生きてく情熱を貰った、とも読めますし、そうではなく文学的に考えればいままでの人生の中で有形無形のいろんなものをこれまで生きてきた中で貰った、ともとれます。どちらにせよ伏流水のように、この人の中で脈々と忘れずに流れてた言葉なんだろうな、と思いました。
でもって、ほとんど素人ばかりの選挙戦の最中に選対関係者が順位において下位であることを告げる場面が読んでてありました。組織としてはマイナスの要素があったとき、問題点を共有すべき場面ってあったりします。選対関係者はそのつもりだったのでしょう。で、どこに問題があるかとか、共有したかったのではないか、組織人だとそういうことをちょっとは考えると思います。で、このとき東国原候補はその選対関係者に逆に声を荒げます。ここぞという場面では重要なのは問題点を共有することではない、っていう咄嗟の判断です。それってなかなか出来ないのではないかと思いました。「問題点を明らかにして、解決策を考えよう」と云う方法が間違っているとは思えないですが、問題点を明らかにしている段階でモチベーションは確かに下がってしまうわけで、それを危惧しての行動です。たぶん問題点は各自が解ってるはず、だから見過ごしておこう、って云う計算を咄嗟にしたのかもしれませんしモチベーションを維持することのしんどさを知ってての行動かもしれません。
何を重視するのか、どこに力点を入れていくべきかっていう選択がほんと巧いと思いましたしわかる人なんだと思います。そういう鼻が利く稀有な才能を持つ人物を組織のトップに迎え入れることが出来たってのは、宮崎県庁って、財政的には厳しくとも幸福ことなんじゃないかな、と思いました。