恋愛体質に関するいまいちまとまってないけどメモ書きのようなもの(7日再訂正)

よく使われる言葉でわかってない言葉ってけっこうあります。恋愛体質っていうことばもそうです。

告白をしたくても、もっといえば相手にキスしたいしキスして貰えるような関係になりたくても、相手が好きな人であるからこそ簡単に誘えないし告白できないっていうジレンマがあって、拒まれるのが怖いし、アクションをおこすことで何かを失って友達とか従来の良好な関係が壊れるのが怖いっていう経験を味わったことのあるのですが、怖くても賭けにでるとき恋愛って博打の側面があるよなってそのとき考えたことがあります。で、賭けることに対して思い切りがいいならそれがひょっとしたら恋愛体質っていうのかな、と。

ほんとの恋愛体質ってどういうものか検索もしてないし辞書もひいてないから詳しくは知らないっすけど。

関東には「お医者様でも草津の湯でも、恋の病は治せない」っていう言い回しがあります。草津の湯っていうのは群馬にあって、むちゃくちゃアツい温泉でもともとは湯あみしてもらいながらアツさに耐えて我慢して入るくらいアツいらしいです。草津の湯は万病に効くけれどそれすら効果が無い恋っていうのはほんと「どうしようもない病気のようなもの」って昔の人は、見抜いてたのでしょう。そこらへんから考えると「恋愛体質」なんてことばは「あの人すこしだけ病気だよ」くらいの意味合いくらいあるのかもしれません。実はこの「恋愛体質」っていう言葉を投げかけられたときから意味がいまいちよく判ってないわりにけっこうもやもやしててずっと考えてて、やっと最近、ああそうか、「傍からみたらすこしだけ病気」というニュアンスにとれるので反発してたのか、と気がついてもやもやしてた原因がわかったんすけど。
恋愛体質っていう言葉に引っかかってたかってことを更にいうと単純に恋愛体質という概念がほんとに理解できてないのと、わざわざその概念を持ってきた、ということはカテゴライズしておく必要があって、恋愛における博徒体質じゃない人も居る、ということなんだと思うのです。あやふやだけどたぶんある程度の人の中には「理想の恋愛モデル」なんてものがあるはずで、その定規をもってる人からするとそこから外れたもの、確実性が必ずしも無く賭博で言う鉄板じゃなくても可能性に賭ける人ってのは「恋愛体質」ってカテゴライズしてもいいくらいに異なる人種のように見えるのかなと。


もっとも何気なくつかうほうは単純にある点において「あなたとは違う」という差異を示したかったのでしょうけど。
もちろん違ってあたり前だとは思いますが。

で、病気とも変だとも自分ではまったく思ってないっす。
ただ、問題はそう思ってるのが自分だけで見えてないだけでひょっとしたら変なのかもしれないです。よく言うじゃないっすか。(いま、恋してるわけじゃないっすけど)恋は盲目って。