夏の終わりに読書感想文の検索でここにたどり着いてしまった皆様へ(一部補充)

ここんところ、読書感想の検索で来る人が多いです。ほんと読書感想ってので苦しんでる人が多いんだなあ、と思います。お疲れ様です。

で、ものっそ基本的なこととして読むってどういうことなんすかね。
大学時代に刑法総論の授業をとってて私が一番難儀だったのが「事実の錯誤」という項目で、簡単に説明するだけの自信がないのであえてここでは触れないのですが、基本書とよばれる本をなんべんも繰り返し読みました。読んでる基本書に理解不能なものが出てきたとき選択肢は2つ。無視するか、こういうものだろうという仮説を立てて読み続けるか、です。あくまでも私は、ですが。で、「事実の錯誤」については無視するわけにはいかないのでそのときは仮説を立ててこういうものだろうか、というあたりをつけて、その仮説が正しいかどうかとかを考えて書かれてる概念を理解してゆきました。それ以降、書かれてることや現象をこういうことなのか、と想像したりする行為、そういう行為を「読む」「理解する」ってことだと思っているフシがあります。そして概念が判ってれば似たようなケースのときにはあてはめができるわけっす。私は、ですが。

で、書かれてることを要約することなんてのはそこまでする必要はないと思います。誰でも出来るんすよ。内容をそのまま機械的になぞればいいわけっす。もしくは内容を「なんとなく知って」ればいい。知ってたら脊髄反射的に感想もかけるとおもいます。けど、他人に対して具体的に説明できるかって言ったら、そこに書かれてるものや概念が理解できてなかったらわりと難しいはずです。少なくとも私は器用でないので難しいっす。面白さを具体的に把握して言葉にすること、さらに相手にそれを理解させることが書かれてることを理解して読み込んでないとできないからで、「なんとなく知って」る段階だと難しいからっす。少なくとも私は、ですけど。
アニメをみて面白いって思う人は沢山いると思うしアニメをなんとなく知ってればその作品を語れて他人と会話できるけど、その面白さを具体的に把握して言葉に出来るかっていったら、案外難しいと思うのです。たぶん一回では難しいのではないでしょうか。


もちろん天才っていて、作品について読み込んで、面白さを具体的に把握して言葉にすること、さらに相手にそれを理解させることに長けてる人っていて、その人の文章を読むと私なんかはただただ羨望するのみなんすけど。


短歌でも小説でも絵画でもいいんですけど、わからないこととか、なぜそれを書いたのか?描いたのか?とか対象物から何か引っかかるものがあったとき、なんで引っかかったかを含めて、こういうものなのかなっていう仮説をたまにたてたりします。興味を持った表現物にぶつかるとそのトライ&エラーの連続で、そしてその仮説を立てるときに自分の過去の経験をけっこう考慮してます。いろんな経験を踏めば踏むほどどんどん感想もかわる可能性があるんじゃないか、とも思ってます。
他の人がどういう本の読み方をしてるかも知らないし、理解できないものにぶち当たったときどう反応するかはほんと人次第だとおもうのですが、私が読んだ本の感想なんて自分の見聞きしたことや経験を基にしてることが多いので一般性を持ちえない意見だと思っています。自分の見聞きしたことや経験なりなんなりってのが読んだりすることに影響してる自覚がかなりあります。


「黒い雨」の検索で来る人がコンスタントにいるのですが、ここを読んでないと思うけどあえて書きます。ピカドンという個人ではどうしようもない悲劇が広島を襲い、その後のことを市井の一般人からの目線で追ったこの話を最後まで目を通してみて、そこに書かれてるものを「知った」としたら要約は出来るはずで、それなりの感想も戦争の悲惨さがわかりましたとか、読んだほうがどう評価するかは別論として誰でも書けるはずです。たぶんそれも感想なんだと思うのです。でももうひとつの切り口で感想ってのも書けると思います。私は正直文学部出身じゃないし研究者でもないから井伏さんは何を書きたかったのか、いまいち判っていませんし思いっきり間違ってる可能性もあるんすけどでもたぶん「ピカドンとか死とかあんたなら不可避な状態を目の当たりにしたらどういうふうに行動する?」っていうことを提起してるのではないか、っていう確信を持った仮説をたててます。なんのことは無い、自分がピカドンにあったわけじゃないけど死というものを間近で体験し理解でき自分で対処しなくちゃならんかったとき、ああ井伏さんはこういうことを云いたかったのでは、なんてのが気がついたからです。と、同時に引用されてる「白骨の御文章」が迫力をもって私の前に迫ってきたんすけど。

だからきわめて個人的なところから出発してるのでこのブログにたどり着いてもここに書かれてるものはあくまでも私の体験に基づくもので普遍性ってないと思うし、感想文を書く上でなんも役に立たないと思います。理解できたつもりでいるのですが、そもそも愚図だから言語化できてないので感想文らしきものもかけてません。ごめんなさい。

もし、黒い雨についての感想を書きたい人が居たら、検索なんてしないでその合間にもう一回新潮文庫を開いて印象に残ったところを読み込んでください。なんでそこが印象に残ったのか、それを書いてください。それがいちばんの近道じゃないかなあ、と思います。


余談ですけど、「やは肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君」ってのも検索で不思議なくらいくるんですけど、これもまた与謝野晶子研究者じゃないからほんとに彼女が何をいいたかったのかなんてほんとはわかりません。役にたつような記述をしてなくて申し訳ないんすけど。
でも、好きな相手が自分が求めるようには相手は自分を求めてはくれないかもしれない、っていう恐怖の想像を一度でもしてしまったことのある人ならものっそリアリティをもって迫ってくるんじゃないか、三割くらいは誰もが与謝野晶子に近づくんじゃないか、と思います。