「KAZARI−日本美の情熱−」展

他人と一緒に美術館に行くと時間が自由になれないのと他人を意識しなきゃなので思うように見れないっていう難点が有るのですが、週末にサントリー美術館に行ってました。えっと、「KAZARI−日本美の情熱−」展です。
しょっぱなに縄文土器が飾ってあって、でもまったく実用的でない飾りとしか思えない装飾が施されてて、古来からこの国の人は飾りというものを意識してるのでは?という投げかけからはじまります。以下、これでもかこれでもかとばかりに衣装、工芸、絵画、独鈷、祭礼用品、本、武具、刀、など空間や対象物をどれだけ飾り立てるかってことに執念を燃やしてきたか!がいやというほど展示されてます。展示されてる屏風絵にしても絵巻物にしてもキレイなんすけど、ほんとに細部に執念深くこだわって描きこまれており迫力があります。飾りでも呪術的な意味合いを含めたものや相手を畏怖させるために異形と思えるものをわざと前面に押し出したものもありますが、釘隠しにもいわゆる作家の作品としての「しごと」がしてある実例や小さな簪や印籠をふくめ手抜きをしないで精魂こめて美しく飾り立ててる、っていうのを沢山集めていました。


でも、なんでそんなものも飾り立てるの?という疑問を感じさせるものもあります。単なる書物であってもそこにも飾りをいれて製本してる実例が展示されてました。そしてなんでそこまでするの?っていうものもあって、江戸期には一時期華奢禁止令が出るんですけどそれを潜り抜けるようにクリアするために単色なんすけど執念深く過剰にも思えるほど絵で飾り立ててる絵皿が置いてあったりします。で、観てるうちに本や皿なんかどうでもよくってむしろ過剰なまでに飾り立てたもの置くことでふだんとは違う空間をそこに作ることによってそこで気分転換をしたのだろうな、というのがなんとなくわかってきました。またうっすら「かざる」プロセスも楽しいのであろうな、というのもなんとなくわかりました。


たぶん水墨画や茶道の影響なんだろうな、と思うのですが無印良品がヒットしたように飾らないものというかシンプルで質素なものが良い、という価値観が日本人のなかにあって、「ゴージャス」なものや「飾り立てる」ものってのが相対的に下位に見られつつあったのかな、と思うのです。そんななか、日本美術を語るうえで「ゴージャス」ってのがどこかネガティブ要素になっちまったのかなー、と思います。でも、日本ってのは実はほんとは「ゴージャス」「飾り立て」ってのを生来的にもってるんじゃ?っていう投げかけをこの展示企画は示していて、なんだか説得力あるきがしました。

東京だともうそろそろ終わりで、つぎの日曜までです。もう一度ゆっくり観にいきたいけど時間が無いのが悔しかったりします。なお、広島と京都で巡回展があるようです。