コアなヲタになれなかった男のつぶやき

私は目が悪いので自室にテレビがなくビデオもなく(自分専用のは今でももってないです)、自分用のパソコンも05年まで持ってませんでしたし、必ずしも余裕のある生活を中学高校大学と送ってこなかったのであまりアニメやマンガにのめりこみはしませんでした。偶然、通っている大学病院のそばが神保町で同人誌ってのは売ってて、それを手にはしましたけどコアなヲタクにはならなかったです。またどこかヲタクっぽいところがあるので、ヲタ批判はできません。で、つらつらとあるヲタの死刑執行を知らせる神戸新聞をみながら考えてたことをちょっとだけ。


埼玉と東京で幼女が連続して誘拐され殺された事件があったころ、私は中学生でした。記憶に間違えなければ最初、白骨が遺族の元に荷物として送られてきたっていう事件だったはずです。で、その犯人がヲタクであったっていうことが、私にとってヲタクというもののイメイジを決定づけた気がします。理解しがたい行動をとる人、というイメイジです。たぶん社会でも同じで、東京と埼玉で起きたこの幼女連続殺人事件の犯人がヲタだったっていうことの印象はほんとでかくて、いまでも不思議なくらい何か起きるとヲタクじゃないか?っていうのがキーワードとして出てくるような気がします。「ヲタク≒なんとなく社会の常識を知らない得体の知れないモンスター」っていう見立てです。今月の初めの秋葉原の事件でも犯人が二次元について語ってた、っていう発言を載せ、なんとなく関連付けようとしていたマスコミもあります。電車男というドラマと麻生太郎元外相がマンガ好きを告白することによってたぶんヲタクに対する世間の目はかなり変わったと思いますけど「ヲタク≒なんとなく社会の常識を知らない得体の知れないモンスター」っていう空気はまだあるでしょう。公明党児童ポルノ規制においてアニメも対象にしようとしましたし、児童ポルノ系アニメが性犯罪を誘発してるって言う論調があったのですけど、正直ほんまにそう思ってるのならその脳内がおめでてーな、とは個人的に思っていますけどそれはさておき、ヲタクっていうのはほんとにモンスターかっていったら類似点はありますが、そんなことはないはずなのです。ヲタに限らずエロとか妄想とかそういうものも含めて人間なんじゃないかと思うし、反社会的行為を脳内で妄想したり極端なわいせつなものでない図画で行う表現にとどまったりするのならばそれはどこにも現実に被害がないわけで全然問題ないはずで、ごっちゃにしたらまずい。ほんとのモンスターは脳内にとどまらず反社会的行為をやっちゃった人間ってのが、モンスターなのです。
でも、モンスターと同視されやすく、ゆえにヲタであることを隠す人ってけっこういるはずです。


ヲタの人がほんとのモンスターじゃないのになんで誤解をうけ易いかって言ったら簡単で、その表現が傍から見てるとわかりにくいからです。
めんどくさいアプローチは抜きで好きなことを楽しみたいし同好の者同士で何かを共有したいっていう傾向があるせいか、ヲタの人ほどアニメやマンガや小説でもいいんですけど感想を書いたとしても同じ体験をした人しか判らない書き方をしがちなんじゃないかと思います。それだと意味不明になり易いはずで、たとえば「○○が萌えた××がよかった!」って書いてあっても、萌えが理解できなかったりヲタでなかったり観てない人にはよくわからない文章なのです。なんでそんなふうになるかといえば(アニメでもBLでも特撮でもジャニでもいいのですが)「自分はこれが好き」という感情がまずあって、その感覚や感情を共有できない人を無意識に排除してるか、好きという感情に支配されそっからなかなか離れないので自分とは違う感覚や感情をもつ人がいるっていうところまで思考が廻らないのでは?なんて思っています。私個人の問題としては実は「萌え」の概念がわかりませんし、納得するような「萌え」の概念の説明に出会ったことがありません。「萌え」というのはヲタの人にとっては自明の理なんでしょうけど、判らないような私のような愚図には何をどう意味するのかがよくは判らず、「萌え」を連発するヲタの人は、私にとっては何がいいたいのか良く判らない、どこか謎の人です。
じゃ、問題あるかって云ったらないのです。ヲタの人の場合(例えば萌えというのが理解できる人たちだけで)インナーサークルでアツく語ってるっていうふうにしか見えないことがあるし、わかってる同士でうなずきあっておしまいみたいなところがない訳ではないと思います。本人たちはそれで楽しいからよいのでしょう。
が、はたらか見ると謎の集団なのです。それのどこがいけないの?って云ってもどこも悪くないんすよ。



モンスターとヲタの共通点は動機としての「好き」です。この「好き」っていうのが、実はヲタを解く上でキーポイントでもあるとおもっています。
で、この「好き」っていうのはほんと厄介で、理知的じゃないことを引き起こし易いです。「好き」が高じるとどんどん反社会的行為になります。「めちゃくちゃ好き」ゆえに、それが本人的には免罪符となってストーカになったりします。幼女連続殺人事件の犯人は児童性愛の傾向が有ったようで、幼女が「好き」なようでした。ヲタとしての自分の収集物にしたいとおもったのか、好きな幼女を殺しちゃった。その光景を作品としてビデオにとっていたはずです(物証にあったはず)。
ヲタも程度こそ違いますが、好きゆえの行動が傍から見ると時として反社会的になってゆきます。動機として「めちゃくちゃ好き」ゆえに、走行中の電車に向かってフラッシュを炊くヲタもいます。動機として「めちゃくちゃ好き」ゆえに、著作権そっちのけで好きなアニメの同人誌を作りもします(著作権的にアウトっぽいけど愛ゆえに許してもらえると思ってるのかな、と)。それ、おかしいんじゃ?っていうのは野暮ですからみんな云いませんが、フラッシュを炊いたり同人誌を作るヲタの人の中には好きゆえだからいいでしょう?って思ってるフシは有るでしょう。
これも、好きなんだからしょうがないじゃない、って云われれば反論しにくいんすよ。



でも、いいんですかね。それで。
何で「いいんですかね」って書いたかって云うと、良いのか悪いのか、私には判断つきかねますが、絞首台に昇ったひとりのヲタも同じスタンスだったからです。発するその表現が何を云ってるのか判りにくく、そしてまた対象物に対しての「好き」が高じた結果犯罪になったわけです。もちろん彼は社会常識をしらず限度を知らなかったっていうところはあります。
でも(私を含め)ヲタ的なものを持つ人って、どこか限度をしらずに「モンスター」になりえる部分があるんじゃないか、って思えてならないのです。
それを制御できるのはそのひと次第っていう、ありきたりな感想しか思いつきませんけども。