違いと差の話

四国へ行ってはじめて知ったのですが、四国は山ひとつ越えると酒の味が違います。
当然、言葉もちがいます。
土佐は言葉が独特ですが、徳島は限りなく関西の言葉やアクセントに近いです。一番興味深かったのは愛媛でアクセントがばらばらで、(大江さんも著書で書かれてますが)大江健三郎さんの生まれた内子という町の辺りや伊予大洲のあたりは面白いくらいにアクセントがなく、開けてる今治や松山や伊予西条は関西に近いアクセントです。宇和島だとアクセントはどちらかというと標準語に近い印象をうけました。このアクセントの話を何の気なしに高松で年上のお遍路さんに言ったら気がつかなかったらしく、言語の研究をしてるの?と不思議な顔をされたんすけど、あまり気がつく人っていないかもしれません。私は必要があって大阪と名古屋でそれぞれの方言を理解しようとして、言葉そのもののほかに重要なのはアクセントじゃないかって気がついてそこらへんに注意を払うようになったのですけど、そういう意識がなければあまり気がつかないらしい。


違いとか差っていうものは実は知ろうとしなければ明白なものであっても全く判らないところがあるのかもしれません。
この前つるの剛士と言う人が深夜番組でニイニイゼミとミンミンゼミ、ツクツクホウシの鳴真似をしたりセミにおける差異をアツく語ってて、そうそうそうそう!なんて思ったのですが、セミを捕まえようとしたことが無い人間には差異はなかなか判らないだろうな、たぶん普通の人はセミのひとくくりで終わりだろうなー、なんて思っていました。


違いとか差っていうものを別に判らなくても問題ないことのほうが多いのです。セミの差とか方言におけるアクセントの差なんて知ってたってその人の本質には影響を与えませんし、知ることに意味はないことが多いのです。ただ、違いを知ってる人間や、違いがある当事者からすると、ああこの人は違いや差が判らない粗雑な人なんかなー、って云う評価を受けるだけ。セミをききわける子供からするとききわけられない大人はつまらない大人だって云う評価になりますし、名古屋弁が幅を利かす職場で名古屋弁のニュアンスが判らないとああこの人は名古屋社会が判らない余所者って言うレッテルを貼られるだけっす。
もちろん違いや差を知ってたほうがいい場合も有ります。ビジネスなんか特にそうで、東海銀行三和銀行が合併したとき主導権を握った三和は名古屋でも大阪では通用した三和のビジネススタイルを強制したので名古屋の取引き先から総スカンを喰っちまって名古屋では他行に融資を奪われるって云うケースが続発しました。大阪と名古屋の金融事情の差や違いを理解してたらそんなことにはならなかったはずなんすけど。


相手との信頼を築きたいなんて思ったら相手と自分の違いや差、相手の置かれた環境と自分が身を置く環境との差や違いを確認し、あるていどの配慮するのが一番だったりします。
ただ、違いや差を知っていても仕事してるといろんな事情があって配慮できないことがあるんで、大きな口叩けないところがあるんすけども。