台風で思い出したこと

ストレスと体力ってのは微妙に関連するんじゃないかと思います。ものごとが巧くいかないとき誰だってイライラしちまうんですけど、体力がないとさらにイライラしちまいがちです。もし体力があればストレスがあってイライラが有っても制御できるでしょう。若しくはストレスの原因を自分で取り除こうとかするはずです。けど、体力がなければそのファイトもない。そうすると自分の苦しさを他人に判らせようとするか(こういう場合たち悪いことに相手より自分がしんどいっていうことを強調したがる)、もしくは他人を攻撃します。誰もが普通、ストレスをコントロールして日常生活を送ってるにもかかわらず、ストレスのコントロールが巧くいかずに他人に向かうのです。ほんとは体力があったなら抱えてる自分と対峙するかコントロールできるはずなんすけど。判りやすくいうと近鉄のおもちゃ売り場で欲しいおもちゃが買ってもらえない子が居たとして、そのことにぐっと我慢するか、もしくは泣くのはカッコ悪いとか自分の主張が妥当じゃなかったとか内省したりする子はいるんですけど、体力のない子は自分をコントロールできるほど体力がありませんからわめきます。で、買ってくれない親を恨んだり、おじいちゃんおばあちゃんとかに「買ってくれなかったの」といって判ってもらおうとするのです。
大学生のときにうっすら気がついた仮説で心理学をほとんどやってない人間なのでさっぴいてほしいのですが、ものごとが巧くいかなかったときに容易に感情を露わにしたり他人を攻撃する人は体力がないかもしくは何でも周囲にしてもらってストレスに向き合わずにストレスに耐性なく育ってきちまった幸福な人なんだろうなー、と冷めた目で見るくせがついちまいました。そういう先入観はほんとは持たないほうがいいって判ってはいるんすけど。



ほんとはものごとが巧くいかなかったとき、何をしなきゃいけないかって言ったら、状況を把握してどういう対処しなきゃいけないか、なのです。
台風の駅で足止めを食らってる状況で、すべきことってなんすかね。
ストレス発散のために駅員を叱責することじゃないんすよ。状況を把握して次の打つ手を考えることなんすけども。

問題はここまで判っててもたまにじぶんも似たような間違いをやっちまいがちな点なんすけど。