ちょっと前に香川の白峯寺のことを書いたのですが、そのとき保元の乱で敗れ讃岐に配流になった天皇がいたって書いたのですが、それが崇徳帝という人です。展望も開けず、京都にももどれず、自分の肉親を弔うために写経をし京都へ送ったら呪われてるのではないかと疑われて受け取ってもらえずに突っ返されたりしたりしたので、世を恨みながらこの世を去ります。西行はこの世を去った崇徳帝と讃岐の白峯で対話しますが崇徳帝の怒りはすさまじく、恨みを述べる崇徳帝に対して静めようとした様子が描かれています。「よしや君昔の玉の床とても、かからんのちは何にかはせん」天皇なんてのはこの世の呼称で死んでしまえば人はみな同じっすよ昔のうらみを忘れておくんなまし、というのですが、おさまりませんでした。
(追記:この歌を聞いて崇徳帝はなんとなく納得してその場は消えるんすけど、崇徳帝の言葉どうりにものごとが進んじまうのです)
崇徳帝の死後、京都では不吉なことが起きたりするのですが、それは崇徳帝の呪いってことになりました。京都に人食い地蔵ってのがあります。どこにあったかあやふやなんすけど、確か百万遍あたりだったと記憶してます。人食い地蔵ってのは実はその対策で崇徳院を祀るものです。御陵は讃岐ですが、崇徳院をお地蔵さんとして迎え入れ、京都で祀ったのです。ですからほんとは崇徳院地蔵だったんすけどなぜか崇徳院がいつのまにか人食いになった、って説を関テレの番組でみた記憶があります。崇徳院の呪いというのが京都の人の中にずっと記憶され続け、崇徳院≒怖いっていうのがこびりついたと。どれだけ呪いがすごかったのか、そして当時の人々が恐怖に感じたのか、想像を絶します。


恨みを忘れるってのは、そう簡単な話ではないでしょう。たぶんこの世でいちばん強い感情だと思います。理屈でなく許せないことってあるからです。そのとき「恨んでもしょうがないですよー」「慈悲の心があるなら慈悲の心で」なんていったって、ぬかに釘でしょう。豆腐に鎹でもいいですけど。そもそも恨みってのは、たぶん感情の動きなんすよね。恥をかかされたとか、ひどい扱いを受けたとか、自分の思うとおりにならなかった、というのがあったあと、
「私はどんだけ感情を動かしたことか。で、だからあなたもそれをわかって対応して欲しいのだけどそれをしてくれない」
という叫びなんすよ、たぶん。でもそれが叶わないから恨みをもつわけで、希望が無視されてるのに等しくて無視されちまってるから状況は変わらず閉塞感があってなおかつ不快な感情に振り回されるからしんどい。で、解決方法はたぶん
「あなたも心を動かして今からは私の意を汲んで」
という要求を相手に飲ますか、それに準じた心の動きの表示(心からの謝罪)。それがない限りなかなか消し去れないはずっす。現実的には崇徳帝に対して第三者西行がいくら仏法に則って説得を試みても意味はないのです。
で、恨みをもたれるほうがしんどいのは、恨みを持つほうのロジックが理解できないときで、そのときは訳わからないまま振り回されるから余計しんどいはずです。


恨みっていうのをたまに考えます。
恨みといったネガティブな感情とどう向き合うのがベストなのか、正直よくはわかりません。
でもにわか仏教徒としては自らの場合は慈悲っていうのを常に考えるしかないのかなーとおもうのです。難しいことなんすけど。