「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日



という俵万智さんの短歌をずっと変だと思ってて、それが何が変なのかってことについて考えると、ひとつは「だからどうしたの?」なんだと思います。短歌と思ってなくって、リアルにそういわれたときに、果たしてどういうリアクションをとれば良いのか、ということを無意識にかんがえちまうのでしょう。へー、そう、などとお約束の返答でもいいのかもですが、じゃ、7月7日はなんなのさ、七夕記念日とか芸のないこというんじゃないだろうね、とか、突っ込みたくなる体質が文学をまともに鑑賞できない原因かもしれません。


自分がたまにコメントに窮するような発言をしないわけじゃないのでうっすらそういうことを言いたくなるのはわかるのですが、この短歌の問題点は口語体で書かれながら限りなく独り言であって、相手に切り返しの隙もあたえない、そこにひとがいてもいなくてもおかまいない、けど空気は読んでね?っていうところにある気がするのです。それが腹立たしいのでしょう。なんでそんなことに腹を立ててるのか謎なんですけども。
逃げてるんすよね。なにいってるのさ?という彼氏の突っ込みが有ったら俵さんはこういうはずです。
「あ、ひとりごとだから答なんてもとめてないの。けど、嬉しいのは判って?」


恋歌に違いないけど恋歌に見せず、相聞歌のようにもできない、一方通行の短歌なのです。つまることろこの歌の意味するところは、褒めてくれて嬉しい、ということなのでしょう。それを婉曲的に云ってるのだと思います。伝わることを予定しながら、独り言のような形態をとることで、伝わらなくてもいい、という保身がなんかせこい。確かに恋愛では気持ちが通じればいいっていえばいい。ただ、この婉曲的物言いがむかしっから私は苦手だったのかもしれません。褒めてくれて嬉しいなら私はそのまま短歌にするでしょう。そのほうが通じるからです。こういう気持ちの通じさせ方は、個人的には好きじゃないってだけのことなんだと思います。ストレートより婉曲に言いまわすほうが奥ゆかしいのですが、なんかこう、イライラしちまうのです。
自分もそういう態度、やっちまいそうなんすけども。