石原慎太郎著「国家なる幻影」

国家なる幻影―わが政治への反回想

国家なる幻影―わが政治への反回想

石原慎太郎という政治家の思想信条は別にして作家としてのシニカルな視線が気にはなっていて、嫌いではないので都知事になる前に書かれた回顧録石原慎太郎著「国家なる幻影」文芸春秋・1999)を読んだことがあります。その中で印象的だったのは初めて選挙に出たときに遊説で長崎へ行き、その長崎で酒造会社に立ち寄り従業員を前に演説し、即帰ろうとするのですがあんたは何で握手ばせんと帰ろうとするのかと、長崎の自民党員がひきとめる場面があるのです。
「握手するというのは最高の契りですたい。ここにいる人はあんたの演説の内容なんかわからんし忘れるけど裕次郎ににちょる石原慎太郎と握手したということは絶対記憶に残るんです」(と要約するとそんなことを)いって石原氏の手をとって麹まみれの従業員の手と握手させたのです。石原氏はこの体験から人間関係において握手というのがどういう意味をもつか認識するようになります。手を意識して、握手をしてるうちに指を失った人を多く見かけて問題意識を持ち工作機械に安全装置をつける法律を起案したり、なんてのはこの人じゃなきゃ出来なかったかも、と思いました。
また三島由紀夫、細川元首相、立川談志、現在の天皇陛下ほか人物像が克明に描かれてます。
ちょっと有名な、国会議員を辞職するときの、日本のことを「国家としての明確な意思表示さえできない、さながら去勢された宦官のようである」と断じた演説が最後のほうに出てきます。特派員として訪問したベトナムでみた危機的状況下での国民の「無関心」を目の当たりにして日本との類似性を見いだし危機を感じて政治家となったものの25年を経て何も危機は変わらず「現在の政治に対する国民の軽蔑と不信はまさに自分自身の罪科である」と自らの非力さを詫びたその演説をこの本を読んだ上で改めて読むと、石原慎太郎という政治家かつ文学者としての問題意識がよりいっそうわかるとおもいます。つか、さらに10年以上経った今でも石原慎太郎という政治家が指摘した状態になんら変わらないのが恐怖を覚えます。
個人的には政治信条とかそこらへんは全く支持しませんが、なんで憂国の情を持ったのかなどは、痛いほどわかりました。