あてこすり、というのだろうか。身のまわりとか話してるとたまにそういうのに遭遇することがあって、キミはいいわね、っていうことをたまに云われることがあるのです。リアルで。あなたと違って私は○○だから、というやつ。○○が「馬鹿」でもいいし、「恵まれてない」でも「普通じゃない」、でもいいのですけど、ようは訊きもしないのに私だって大変なんだから、ってことを伝えたいらしいことは判ってくる。いつの間にかこちらが比較対象にはめ込まれてて、むこうからすると自分が一番苦しいってのを認めて欲しくて、がんばってる自分が一番偉云っていって欲しいことはわかる。


んなもの、つきあいきれるか、っておもうんすよ。
誰だって生きてりゃ大変なんだもん。


自分の感情をまき散らすことでしか自己確認できない人っていて、そういう人は常に相手なんかどうでも良い。こちらにはお構い無し。で、苦しいときやしんどいとき自分の苦しさを相手に理解させることに注力する。や、誰だってしんどいときはしんどいとおもうのだけど。普通の人は馬鹿にされないように、恵まれてなくてもそれを悟られないように、普通じゃなくても普通にみられるように、大変でも大変さがわからないように振舞うのです。それがわかってて云うのかわからんでいうのかがわからないけど。ただ、最近うっすらわかってきたのは同情されるのが好きな人、同情するのが好きな人が世の中に多く居て同時に可哀想なものを傍観者の立場で眺める人が多いのではないか、ってことだったりします。あてこすりをきいたら、ほんとは同情してあげなきゃいけないのかな、とも思う。
で、その立場に立てないし、強制されるのが嫌だからイライラするのだな、と気がついたのですけど気がついたところでどうしようもない。