内なる「くくり」の問題(どうでもいい問題かも)

セックスをするとなると、対面しなきゃいけないものがあります。





山のあけびはなに見てひらく?したのまつたけみてひらく、の、あけびとまつたけ(モロの言葉に抵抗があるんすよ)。



されるだけのときなら問題ないのですが、そんなことはいってられません。セックスって奉仕されるだけものじゃないってのは、童貞や処女だったころから知ってました。で、いざ、そういう場面を迎えて乗り越えなきゃいけないハードルを自覚し、対峙しなきゃいけなかったのが性器の問題です。私は前から他人の性器そのものにそれほど興味がなく、中学高校のときにも異性の性器を見たいと思うこともなかったです。中学の修学旅行で実は他校の女子の風呂の覗き見事件があったのですが、私はそれに何故か加わらなかった少数派です。女性を抱いたときにも性器には最初は見たときどこか抵抗感というかどこか生理的嫌悪感があって、しかし相手に快感を与えて濡らさねば巧くすすまないってことが頭ではわかってたし、そもそもどこが良いのかすらわからなかったからきちんと見なきゃならないと察したので逃げずにチャレンジしたのです。で、相手が仮に可愛いと思えたりすれば性器を口にすることもできましたし、暫らくしてなれてきてからは抵抗感のようなものはかなり薄れてきます。男でも私は小さいときからCutでしたから見慣れてるものはCutの性器で自分のものは見慣れてるからなんともおもわないけど、いまだに覚えてるのは他人の性器の前に顔を押しつけられたときその相手がUncutで、すげーグロテクスで、自分にとっては恐怖でないけどどこか異形のもので、促されたときは目をつぶって口に入れ、蒸れた尿の微妙な臭いにどこか自分に哀れさすら感じてはいました。さすがにこっちも回数を重ねるごとにその男なら誰でももってる異形のブツをある程度は扱うことが出来るようになりましたけど、未だに完全に克服できてませんし、たいして好きじゃない相手のときは口にするときは目をつぶっちまいます。そもそも張り型も買わないのは男の性器がまだ異形のものに思えるからです。そばにおきたいとは思わない。セックスのときは性器がすげー欲しいとおもうんすけど、こうかくとすごい矛盾した変なやつかもしれません。
いまでも全く嫌悪感がないって言ったら、嘘になります。幸か不幸か性欲に支配されてるよなときは嫌悪感はさしてもたないからなんとかなってます。好意を持っている男性や女性の性器をみることさわること、そして口つけることはできますが、欲情も感じなければあこがれてもいない男性や女性の性器を見たいともおもわないしむしろ避けるし、さわることも口つけることも、なんか抵抗があります。



年下の異性(これは私ではない)の性器を見たがったりするかなり執着する年上の人を知って私は他人の性器に余り興味はない私はその熱心なその姿にどこからその情熱が来るんだろうと興味深かったのですけど、それを見てて実は自分のイレギュラーさを再確認したのです。でも、そもそも異性愛の人が性的衝動を感じてなくても異性の性器に執着するのはわからんでもないのです。実際中学高校のときは私はそれほど興味はなかったけど周囲はそれなりに異性の性器にかなり興味を示していましたし。他人の性器をみたい、というのが下品になるか否かは程度問題にすぎません。それと容易に想像できることとして、たぶん、同性愛の人も同性の性器に執着することも有るでしょう。男性器が男を男たらしめてると認識してるなら、男が好きならそれに執着してもおかしくないと思うんすよ。そこがいちばん男を男たらしめてると思うのです。ただ、モロに見ることに抵抗がある異性の人もいるので男が好きでも性器に対する執着の差はあるはずですけど。女好きならいわずもがなでしょう。
私は男が好きなんだろうか?ときかれたら、恋愛感情ももてるし答えはどちらかといえばイエスなんすけど、でも、男性器には強い興味はあまりないのです。
じゃ、女好きかっていわれてたら、イエスとはいいにくいけど嫌いじゃない。恋愛感情は持てる。で、やはり女性器に興味はさしてないです。
目が行くのはへそとか、鎖骨、背中なんすけど。



男性器女性器がそれぞれ男や女たらしめてるとおもうんすけど、男に欲情することが有っても性器に執着しない、また女性に欲情することがあるけども性器に執着しない、さらに性器をどこか異形だと思ってて克服するのにいくらか努力が必要な私は一体何者なんなんだろう、と、たまに思うのです。変な話で恐縮なんすけど、男性の性器を受け入れることもできるし欲しいとおもうこともあります。で、女性を抱くことも私はできます。だから、同性愛者でもあるっていうこともできるし、異性愛者的なものもあるのです。それをバイセクシュアルってくくれるとおもうけど、そこらへん、正直細かな定義をしらない。諸説あるみたいですけど。
で、異性や同性の、その男女の性別たらしめる性器にあまり興味がない場合、それとそれぞれの性別に固有のセックスアピールを感じるところにあまり魅力を感じない場合、つまるところ、さして性別意識しないで欲情できるってのは、バイっていうカテゴリーで妥当するの?とかで迷うのです。巧く説明できる自信がないのですが、好きになったりかわいいと思えたり相手に欲情すれば私は異形と思える男女の両方の性器を嫌悪感なく触れることが出来るんですけど、性器を見てても性別をそのとき深く意識してるかっていったらあまり意識してない。好きになった人とか欲情した人に、ある種のキスに近似のコミュニケーション手段みたいな感じでセックスという手段をとってて、で、口と同じで性器には興奮も欲情もしないです。しつこいようですが、興味もあまりない。
外からのカテゴリーでみれば、たぶん私は全然女性がダメじゃないし、ゲイセクシュアルよりもバイセクシュアルなんじゃねーかとおもえます。
しかし、巨乳に興味もなければビキニ水着の中の性器にも興味もなく、ミニスカートでキレイな女性がそばにいても目は行っても、あまりどうこうおもわない。女性が女性たらしめるところに興味があるかっていったら、あまりない。女性とセックスできることをもってしてバイって名乗って良いのかな?とか根本的疑問が浮かぶのです。
比較的目が男のほうへ行っちまうので(例えば市原隼人倖田來未がいたら市原隼人に目が行きます)ゲイって名乗って良いのかもと自分で判断してるんですけど、厚い胸板とか海パンのふくらみには興味がない。男が男たらしめるところに興味があるかっていったら、あまりない。さらに女性が抱けるって言う時点でたぶんゲイといいきれないところがある。たぶん、普通のゲイ像からするとゲイじゃない。バイって云って良いのだろうか。堂々めぐりなんすけど。当座のよすがとして処女でないし、童貞でないって云う言い方をしてますが、解決にはなってない。また、男らしさ、女らしさ、性器から離れれば、問題はある程度は解決する気がするのですけど、それって解決したことになるのだろうか。


明らかに異性愛の人から、カテゴリーなんてどうでもいいんじゃ?って云われたこともあります。そうなのだ。どうでもいい人にとってはどうでもいいことに見えると思う。悩んだりしないで済むならどうでもいいことなんだと思う。ちっぽけな、馬鹿みたいなことで悩んでるようにみえるはず。むずかしいこといわんと、ゲイとかバイとか自分で称してればいいじゃん、セックスして気持ちよければいいじゃん、っていうのは確かなのです。でも、納得してないのです。自分の中では。自分をどこにカテゴライズしていいのか、正直、わかりません。この問題はケリがついてなかったりします。もう、あしかけ一年以上ずっと継続審議です。きっかけは、ずいぶん前にネット上の知人が自らがゲイであるのかバイであるのか悩む記事を書いていてその人は私と違う視点から自分がゲイであるかバイであるか悩んでたのですが、それに対するコメントとして「わけわかめ」というのがあったのです。たぶん、私のような存在もはっきりさせないと、他人からしたら「わけわかめ」なんだと思う。バイと云うくくりに違和感があって、バイと自分を思ってないのですが、かといってゲイっていえるかっていうと、いくらかあやしい。けど、わけわかめでも、旗色を鮮明にするために名乗ったほうが良いのだろうか。


わけわかめな文章ですいません。うまくまとまってないけどとりあえずかいちまいました。暫らくしたら消すかもしれません。