世の中にはYMCAというのがあって家族一緒に旅行とかに出かけることは皆無に近かったけど金がない割にそういうところへは参加させてもらえたのです。そこでの影響が今でもかなりあって、ご飯を食べる前にお祈りみたいに手を合わせる習慣や出されたものを残さないって言うのはそこで叩き込まれたものであったりします。もう一つ叩き込まれたのは「最初に言葉があった言葉は神であった」っていうやつです。言葉を慎重に使えって言う戒めの意味でたぶんその話を聞いた記憶があります。うろ覚えだけど。
で、ひどく気にしちまい、慎重になった結果二つほど言葉に対して懐疑を持ち続けてます。


ずっとどこかで持ち続けたのは「その言葉を使ってもいいのか」という懐疑です。いろんな場面で慎重になって「たぶんこの言葉を使ったらまずいんじゃないか?」という言葉を使いわないってのが、なんだかずっと意識してました。この懐疑がいつのまにか変化して猜疑心というか、人を素直に信じられないひねたところがあります。


自分自身カッとなってるときはそんなこと気にはしてないのですが正気な場面では必ず意識して「その言葉を使って良いのか」と検討するのですが、他人が罵倒表現を使おうものならどこか「この人は慎重ってものがないのかな?」とかこっそり思うのです。相手がどう思うかまで考えないのかな?と言い換えても良いのですけど、罵倒したらなかなかその後心理的溝ができて関係修復は難しいし、理解が相互にできなくなるのでは?とか思うのです。また発言はその人の思想に直結する言葉ですから、例えば罵倒が多い人っていうのは常に乱暴な人なんだろうなとおもうし、独りよがりな発言をする人はたぶん夜も独りよがりだろうし、とか勝手に思うようになっちまいました。確証があるわけでもなく、思い込みの世界ですけど。またそういう思い込みはよくないってわかってはいるんですけど。ただスケベな発言ばかりしてて私は真面目ですって言われてもにわかには信じられないし、攻撃する発言ばかりする人がそれは私の意図するところではないっていわれても、それもにわかに信じがたい。どうでもいいですが実際、隣にいる人が酒呑んでていろんな人の悪口をいう人だったら、その人を信用せえっていっても私はなかなか信じられないです。

ただ世の中にはほんと「適当」に言葉を使っている人がある程度いて、それでもみんな違和感なく言葉をやり取りできてる人もいることがわかって、そういうのを見るとなんだか非常に自分が妙なところでこだわってるんだ、とわかったんすけど。



もうひとつ持ち続けたのは「その言葉を使ってつうじるのか」という懐疑です。
言葉を厳密に使おうとする場面でさえ言葉は無意味に意味が飛躍しえますし、ゆえにいくら神経を使っても慎重になっても人に対して通じるかどうかの不安をともなうことが有るんじゃないかと思うんですが。例えば合理的、といったときに、人によってよい意味にとる人もいるし冷たい語感にとる人もいて意味合いが違ってきたりしますし。
個人的に常に気を使ってるつもりでいたんですが、それがまわりくどいとか難解とかそういうふうにとられたりしていたみたいです。


余談ですがそのことで考えさせられたのは自分自身の言葉に対しての理解力のなさです。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋

       俵万智『サラダ記念日』河出文庫より

という和歌を知ったときに私はこの歌の意味が判りませんでした。俵万智センセイはこれが判ってくれる人だけ判ってくれれば良いの、というスタンスなのかな?とおもったんですけど、私は正直のこ二つの歌が何がいいたいのか完璧に理解していません。特に(コピーとしてなら評価しうるけど)東急ハンズと豊かになる気分の因果関係がわかるようでわからない。日常の情景や気分を歌に託してるのは理解できるんですが、で?なにがいいたいの?ということがわからない。歌心が解せないむくつけき野郎です。
けど、世の中ではこの歌の意味するところは通じるらしいと知って軽くショックだったんですが。ああ、私は普通の人から比べて話が通じにくいのかと、思い知らされた。
ただ同じ人の

愛された記憶はどこか透明でいつでも一人いつだって一人
落ちてきた雨を見上げてそのままの形でふいに、唇が欲し

       俵万智『サラダ記念日』河出文庫より

ってのは、いまはすごく判るんですけど。


言葉ってほんとむずかしいとおもいます。
相手の意図をたまに読めなかったりして落ち込んだりするし、相手に自分のいいたいことを正確に伝えるって困難だな、と思うとき、なんでこんな厄介な言語を使ってるんだろう、とかおもっていました。
ただやはり私はどこか壁を作ってるのかもしれません。うっすら自分の持っていた懐疑がコミュニケイションの障害になってるのかも、と最近気がつきはじめました。