小さい頃はなんでもこれはなんだろうか?と疑問に思うことが多かった少年だったのですが(原則大人になってもたいして変わってなくて「これはなんだろう」「どういう意味なんだろう」とかしょちゅうやっちまうのが悲しいですが)結構いろんなモノを覗いたり分解した記憶があります。電池とか時計あたりはたぶん誰もがやると思います。自動車も分解こそしなかったけどボンネットを開いて何かやってると絶対覗きたくなりました。で、小さい頃の魔法ビンといえば単なる保温機能のみの魔法ビンで、自動的に湯沸しするやつは家が裕福じゃなかったせいかありませんでした。そもそも保温機能しかない魔法ビンの魔法というのがなにをもって魔法なのか判らず、中身を覗いたらなんだか鏡状になっていてこいつのどこが魔法なんだろうかとか、けっこう不思議に思っていました。実は鏡のように見えたのはガラスであり、いつまでたっても中身が冷めないから魔法なんだってことに気がついたのは小学校高学年です。熱を持ったものが冷めない、というのはやはりどこか不思議で、魔法といえば魔法なんだろうな、と思います。実際、人間でも同じ熱意を失わずに持ち続けるのって困難で、冷めたりしやすいとおもうのです。もっともそれは私だけかもしれません。瞬間湯沸かし器と自嘲するくらい気が短いところがありますけど、魔法ビンのように同じアツさを持ちながらってなかなかできません。


中学になってから井上靖の短文をたまたまいつだったか国語のテストで読み、昔の魔法ビンは値段の割りに些細なことですぐ壊れちまいやすく主人公の子供がやきもきするという話を読んだのですが、ありえないと思いつつもなんだかその文章を読んでる最中に魔法ビンがどこかで割れた音を聞いちまった気がしてならずそわそわしてしまい、その架空の経験があったからかもう中学生だったころからだいぶ経ってるんですけど何気なく置いてある魔法ビンを見るたびに、あ、倒れたりしないだろうかとか不思議と目が行くことがないわけじゃなかったりします。もちろん今と昔では耐久性も衝撃に対しても差があって簡単には壊れないって承知はしてるんですけど。がさつなわりに、変なところで小心者です。


前は良好な関係を持っていたけれど、どちらかがぞんざいな扱いをしてるうちになんだかいつの間にか変化していて必ずしも好ましくない状況になってる、なんてことがあります。自分の担当ではなくなって誰か別の人が対応していたら知らぬ間に最悪になってて泣きつかれて覗いたら目もあてらんない、なんてのがあったりする。そういうとき、よく脈絡無く魔法ビンを思い出すのです。丁寧に扱ってれば別にどってことないし見た目はなんだかしっかりできてそうであっても、中身がガラスで割れやすいんだよなー、とか思う。
ほんとの魔法ビンのガラスが割れる音というのは聞いたこと無いけど、できれば自分が魔法ビンのガラスを割るような振る舞いだけは避けたいな、と、思ってはいるんですけど、魔法ビンを割りそうな頭に血がのぼってる時に限って余裕は無いし、そうでなくともがさつなのでいつかやっちまいそうで怖いです。
さらになんだかギスギスした関係とか一方がぞんざいな扱いを人間関係でしてるのを見ると、勝手に、ああ魔法ビンが壊れそうとか、勝手に心配をしちまうんですけど。