キスの話

キスをするとき目をつぶらないかと問われれば、つぶらないことがあります、と答えます。

キスをするときに目をつぶるか否かという問題はたぶん人によると思います。それと状況でしょうか。軽くついばむようなキスならば別に双方が目をつぶってもかまわないし、キスだけで済む場合も双方がたぶん目をつぶって良いと思うのです。問題はそうじゃないときです(どこが問題だかわかりませんが)。
舌を使ってするキスなんかはたぶん目をつぶり、軽いキスから始めて舌を絡めていくと思います。このとき積極的に舌を絡めてもらえなかったりとか相手が反応が軽くてされるがままだとかだと不安を感じやすいはずです。相手が反応が薄かったら目をつぶってるわけにはいかなくてちら見せざるを得ないはず。情熱的にキスを返してくれる相手ならまだしも鎖骨を噛むとか耳に舌を入れるとかの動作に行きたいのに大丈夫かどうかとか気になるからです。自分勝手に盛り上がるのを男はどこかかっこ悪いと思ってて、がっついた男はみっともないんじゃ?というのが有って、その気になってくれてるかどうかとか、相手を気にしないわけじゃないからです。セックスもキスも互いに同じ温度にならないとしらけちまうでしょう。キスをしてるときに相手を見るのは自分と同じ状況か次へ進めるか確認するためだとおもいます。
あ、男、というのはひょっとしたら適当ではないかもです。仕掛けるほうが、といったほうがいいかも。


秋の実りを読んだどどいつに
山のあけびは何見てひらく?したの松茸見てひらく
ってのがあります。いかようにもとれるどどいつですが大人の解釈をすれば「あけびは松茸に呼応する」というか、下品になるのでこれ以上の解説は控えますが、しかしそうはいっても簡単に松茸を見せたからといってコトが進むわけではないはずです。どんなに親しい仲でも人間の感情ってそんな簡単にできてはいないでしょうし、その気になってくれるまでが幾分長い道のりであるわけです。人によっては長くないかもだけど。どっちにしてもちょっとだけ時間をかけて手順を踏んで同じ温度になってからから呼応する。
たんに快感を追い求めるだけなら一人のほうが楽でしょう。けどなんでだれもがしちめんどくさい「あけびは松茸に呼応する」までの長い道のりを選択するかといわれれば、たぶんセックスというのは会話の変形なんだろうなと思うのです。それとキスも。会話は一人でしても面白くもなんともない。だから会話をしたがる。好きな相手ならなおのこと。


物事をシンプルに考えると、人との会話で大事なことは何かといったら誰かのメッセージを聞いて、相手を探ってそして自分からメッセージを送ることです。それがうまくいけば誰だって快感だと思います。それを身体で使ってするのがキスやセックスじゃないのかな?とおもうのです(その原則を忘れて会話においても自分だけの快感を求めるのはひとりよがりというんじゃないのかなと思います)。


もし仮に好きな相手がキスのとき目をあけてたら、会話ということを考えれば好きと言葉にする代わりに、身体とか適宜撫でたりすればいいのではないかとおもいます。男って相手が積極的なことって、たぶんすごい嬉しいはずなんですけど。