うたがわかったとき

私は名前の上では法学部卒ですが実質あほう学部卒じゃないかと突っ込みたくなるくらいのレベルだと自覚しています。進学するときなぜ法学部を選んだかといえば理系がからきし弱かったのと世の中はなにかしら法則性があってそれを動かしてるのはどうやら法律らしいって事がわかったからに過ぎません。法学部じゃなければ文学部へ行って文学とか短歌の勉強ができればいいなと思っていました。このブログでたまに短歌や和歌、どどいつが出てくるのはその名残です。ちょっと未練たらたらなのです。いまだ。


名古屋にいたころ、名古屋駅の在来線ホームに「かきつばた」という名前のうどんスタンドがありました、つか、気がつきました。上り岡崎蒲郡豊橋方面行きのほうです。
店名が、
「から衣 きつつなれにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」
っていう在原業平が東国へ下る途中で京に遺した妻を思いだしかきつばた咲く三河国八橋で詠んだ歌があるんですが、それからきたんであろうことはうっすら想像できます。えっと、なんでかっていうとそれぞれの一番最初の言葉をつなげると「か・き・つ・ば・た」になるのです。八橋というのはたしか岡崎のあたりだったはずです。それを岡崎方面の電車が発着するホームのうどん屋に名づけるセンスがすげーと思ったんでですけど、ついぞそれを名古屋にいるとき誰にもしゃべれませんでした。だって勤務先で言ったってそんなもん誰もわかりそうにないからです。
ひょとしたら「かきつばた」と名付けた名前も知らない誰かと自分だけしか意図がわからないような暗号のようなメッセージが解けた気がして、わかった日は高揚してました。また誰にもいえない孤独感ってのが妙に興奮していましたです。電波を受信した!ってのに近いかもですが。


短歌、和歌とかに興味を持ちつつもそちらに進まなかったかわりに未練がましく大学生のとき一人旅のときは短歌や文学の舞台へ行ったりしてました。井上靖の「本覚坊遺文」を手に大津の三井寺へ行ったり京都の大覚寺へ行ったり、路面電車で堺へ行き与謝野晶子の生まれたところへ行ってみたり、近鉄で奈良へ行き奈良のユースホステルでレンタサイクルの話を聞き飛鳥を自転車で廻ったり(井上靖額田王を読んでいた)、平家物語に出てくる鵯越がどんなところか気になって神戸から有馬行きに乗ってみたり、山陽電車に乗って垂水の友人を訪ねたあとに夜、海辺に立ち
「淡路島 通う千鳥の 鳴く声に 幾夜寝覚めぬ 須磨の関守」
なんてのとおなじ景色を眺めたりしました(ただし国道沿いだったので微妙にうるさかった)。

ただそういう旅行を他人に云えたか?というとなかなか云えませんでした。親もバイト先のデスクも、京阪神へ行って文学の舞台へ行った、というと、へー、こいつが文学なんか読むんだ?と不思議そうな顔をして黙っちまったからです。確か大学の友人はひとこと「らしいけど、渋いねー」といったきり。
そういう経験があったので文学を読んでることをアピールするのがどこか未だに憚れるところがあります。
それでも文学作品とか和歌への興味を捨てなかったのは、作者が云いたかったことであろうことを電波であれなんであれ感じた瞬間というのはどこか快感であり、また作品によっては(どんな痛切な主題であっても)美味いけど強い酒をあおった直後のような酔った感じが身体を包みそわそわしだすのですが、その体感が忘れられなくてであったりします。麻薬と知りつつ手を出してしまう中毒患者に近いです。


俺はこんなのにめぐり合った!といいたくなる衝動はリアルでもネットでもあるんですけど、しかし文学を読む人というのはたぶん少ないし、興味を持ってもらうような言い方も困難で、云いたくてもなかなか自分の感想を自分の言葉でいうことが更にひどく困難であったりするので、いつも言いかけてしり込みしちまうんですけど。