筑波嶺の

「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる」


東京の西部に住んでると茨城というのは縁遠く、小学校のときにつくば科学万博へ行ったきり踏み入れてません。で、筑波のそばの牛久というところにワイン造醸所があって筑波山と一緒にそこへ今度は行こうよ、なんて話をしながら行かないままだったので(車運転するほうがワインを呑めないのでNGだった)、筑波山がどれほどの山なのか実は知りません。今、地図を見たらみなの川という名前ではないようですが、筑波山からほんとに川は流れてるようです。


歌の意味は、恋におちてしまうと、最初はわずかな流れだったけど筑波山から流れる小川がだんだんと深い淵となるように、思いはじめたときの恋心が今ではつもりつもって底なしの淵をさまよっているって言う意味でしょうか。意訳入ってますけど。


最初はちょっとした期待からはじまります。なにかにつけ振り向いてくれることを期待して、優先順位一番扱いを期待して、手をつないでくれるとかの態度を期待する。で、振り向いてくれるだけで嬉しい、優先順位一番扱いが嬉しい、手をつないでくれるとかの態度が嬉しい。ところがどんどん場合によってはエスカレートします。好きだからキスをしたくてセックスをしたくて、自分の中に相手の存在が、もしくは自分が相手の中に存在することが、どこか嬉しい。セックスだけじゃなくって、強く抱きしめてよ、とか。さらに、私だけを見てよ、他の人を見るな、とか、離さないで、とかの、排他的感情になる。


排他的感情や独占欲を昔から日本人は詠んできました。


「夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」


逢坂関というのは、東海道線だと山科のあたりなんですけど京都に入る直前の関です。今はトンネルでぬけます。逢坂は「逢う坂」で掛けられていて出会いと別れを意味する筈です。意訳すると、ねえ、中国の故事にもある函谷関なら開くかもだけど、夜の明けないうちに、にわとりの鳴きまねをしてだまして関所の門を開こうとしても無駄無駄無駄、わたしが守る逢う坂の関(貴方に逢うための門)は決して開かないし、朝になってもあなたを離したくない、ってとこです。
こうなってくると、正気じゃないし理性どころの騒ぎではありません。児戯にも等しい。けど、執着をとうして幸福を感じたり不安になったりの心を揺さぶる感情が、身体や思考の全てを支配することが、恋をすればあるでしょう。その状況下では別におかしくともなんともないのです。朝貴方を返したくない、とか、他の人を見るな、とかの独占欲は。
ただ悲しいかな、明けない夜がないと同時に誰もが恋だけに生きてるわけではないはずで、社会に属して正気に戻ってるときに自分の児戯のような執着を想起したとき、その児戯を許容するとプライドが傷つくし、否定したい。けど、その児戯自体は本心なので否定はできない。実は人によってはすごいストレスだとおもいます。
そこらへんの折り合いをどうつけるか、誰もたぶん解法がわかりません。古人も歌で詠むしかなかったのではないかと思います。


筑波山から流れる川は最初は清流だったかもしれません。それが途中から地獄の淵を覗いていたのと同じかもしれません(けどそれはどこか甘美な地獄かもしれませんが)。
恋愛は天国だけじゃなくて地獄も見せてくれます。同時に人を消耗させるものだと思います。
正直、恋愛はしんどい。それが判っててするんだから世話はないのでしょうが。