口にできない

「Cut」と「Uncut」の話です。
小さいときに私は割礼が済んでました。つまるところそのころから「Cut」でした。けど、意味も判っていませんでしたし周囲にもいなかったです。そこらへんがすごく気になってて小学生の頃は水泳の着替えが苦痛で苦痛でたまりませんでした。更衣室に一人で居たとき(多分)大学生から逃げらんなくて水着を脱がされたことがありますけど、剥けてんじゃん、と指摘されたのを覚えてます。けど、その剥けてんじゃん、という言葉の意味が判らなかったです。同級生にいじめられはしなかったけど、好奇の目で見られてたのは確かです。そりゃそうです。自分と違うものを気にはします。差異がちとしんどかった。プチ劣等感があったです。


幸か不幸か高校生ぐらいになるとうっすら自分が「Cut」の状態で「Cut」の状態が恥ずべきことじゃないことがわかってきます。ただこんどは大きさがそこそこ問題?になってきてましたからすすんで誇示するようなことはしませんでした(察してください)。見せろといわれたときは見せてましたけど。水泳の時間なんかの後に同級生から「火星なんだよね」といわれてもしかしその火星がどういう状況か実は判っていませんでした。そもそも痛いって言うことが最初なんで痛いのか判ってなかったです。自分がそういう状況になったことがないからです。それと、その頃は度がすすんでてコンタクトをとるとかなり目が悪いので着替えや風呂場で盗み見する機会もなく他人のブツをまじまじと観察する機会っていうのは自分が処女を失う寸前までなかったですし、ですからそういう会話は適度にかわしてました。
で、プチ劣等感が形状からサイズへと移動しました。
その後、大きさじゃない硬さだってことがわかって、プチ劣等感はおさまったのですが。
小さい頃の経験、自分が「Cut」で他人と違うということがあったので差異について何か云われるのが怖く、性器に関するものは秘めなきゃいけないもの、というのが刷り込まれてました。性にまつわるものを口に出すのがかなり抵抗がありました。つか、今でも性器に関する直接の言葉をいうのにどこか抵抗があります。正直30こえたいまでも、ある場面で何が欲しいの?といわれても口では絶対言えません。ネットでもその単語をなかなか打てません。云いずらそうな人、もしくは伏字にする人にどこか親近感を覚えます。逆に平気でその単語を簡単に口にするひとをすげーなー、まねできない、といろんな意味で思ったりするのですけど。
や、その口にできない対象にキスは好きになったら平気でできるんですけど。