ちょっと前、かわいいから何でも許すよ、とリアルで年上の男性にいわれて微妙にカチンときました。予め約束した時刻に間に合いそうになく、キャンセルしたときにその言葉が発せられたのですけど。
まず自分がかわいい、といわれることに抵抗があるのと、それよりなにより何でも許す、というのは、相手を対等に見てないからでしょう。小学生低学年のしたことをどこか許すのは、かわいいからでなく、対等であると認識してないからです。甘やかすつもりでアドバンテージになると思って云ったのだと思うのですが、甘やかされる、というのはどこか、対等じゃないという意識が私にはあります。
以下、脈絡なく。

また、甘やかす、というのは麻薬でもあるかもです。
好きだった人と付き合ってた当初、メシを喰わせてもどこか連れてってもらってもさして前と変わらず甘えない私をみて、懐かない、野良猫のようだ、と批評され、やはりカチンと来たことがあります。咄嗟に野良猫上等と切り返したのですがそもそも誰かに甘えたくて人とつきあってるわけではなかったです。風呂場とかベッドとかでいちゃいちゃしたいとおもうものの、「もっと一緒にいたい」「もっと話がしたい」が主でした。「甘やかされてる、親切にされている自分」が好きにはなれないな、と、どこか思ってましたし甘やかされたら最後自分のプライドがどこか崩れそうな気がしていました。ただ暫らくして、自分が相手の我侭や甘えを許容するのもすこしだけ快感になってきて、甘やかすとか甘える、といったことが甘美であることを思い出し、制限を一部解除したのですけど。
ただ、この甘美なことを覚えると、もっともっとと欲しくなるような、際限がなくなりそうな性質のものの気がします。甘えてるという事実がほんと甘美であって、わがままの相手が好きな人でいくら濃いキスしてもらっても要求した甘えがちょっとでもかなえてもらえなくなると不安になります。甘えって麻薬っぽいと思うのです。自分を律してないとだらしのない人間になりかねない。また、甘えが昂じれば最初は些細な要求であっても、ねえ、俺のことだけ見てよ、というようにエスカレートして傲慢な要求もしたくなるはずなのです。字にすると舌を噛み切りたくなるようなことですが、人を好きになるって云うことは結構しんどいことだなーとやはり思います。思いませんか?


恋愛は何度も引用してますが、
「あひ見ての 後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり」
だなーと、ほんとおもいます。
恋愛してるときが本性なのか、そうでないときが本性なのか、わかりませんが。