目が悪かったりします。特に右は0,1を切ってて左はもうちょっとマシかな?という程度です。
たぶんそのほうが楽なんだと思うからですが知らぬ間に顎をひいて上目づかいに相手をみる癖がたまにあるらしく、好きだった人からできれば2人でいるときはそれを止めてほしい、といわれてましたが治せませんでした。機嫌を伺うような目付きをするな、ということなんですが、機嫌を伺うも何も無意識にやっちまってたみたいで治しようがなかった。
めがねを買ったのが小学校一年の頃で、コンタクトレンズを入れ始めたのは小学校2年か3年位だった気がします。今でもコントクトをとると思いっきり近いなら話は別ですが世界は全くおぼろげなものであったりします。たぶんこの目のせいかもしれませんが泣いてもどうにもならないことがあるってことはおぼろげながら子供心に把握してたようです。泣いてどうにかなってるならば、私の目は良くなってたでしょう。


泣いて何かを欲しがる、とか、嫌がる、というのは自分の人生の中で記憶に無いです。
どこがそういうのがカッコ悪い、という意識が働くようです。相手を困らせて果実を得ることに対する嫌悪感がどこかにあります。機嫌を伺うことも苦手です。機嫌をとって何かを得ることも、仕事以外ではなるべくしたくはない。
ただそうやって他人が手練手管を駆使してても果実を得てるのは確かで、躊躇無く出来る人がどこか羨ましかったりします。色落としでも泣き落としでも勝てば官軍であるのは事実でしょう。

よく考えると手練手管を駆使できる人に私はなりたいのかも。ちょっと浅ましいかもですが。