世の中には不思議なジャンルがあって、例えば女性向けの少年愛とかだけで雑誌が成立したりします。今でもあるのかどうかは知らないですが小説ジュネという雑誌があって、実は数回買ってはいました。心理描写について書かれてるものが、同性に惹かれないわけではない自分の性的志向について何らかの正当化事由のヒントになるのではないか、とか思ってた時期があったからです。で、数回で買うのをやめてしまったのは、(ずいぶん前にも書いたんですけど)たまたま買ってた時期にオウムについて書かれていたからです。地下鉄サリン事件の日に被害に逢わなかったけど私はたまたま千代田区にいて薬局のテレビでことの重大さを知ったのですがサリンという単語はそのときはよくわかってなくて、で、駅に行ったら丸の内線だけでなく確か全ての路線で念のため運休していてなんとなくすごいことが起きてることだけは事件直後から肌で理解できてたのでどうも茶化すことができず、そもそもあれだけ犠牲者をだした犯罪集団について妄想でパロディ漫画をつくり面白がるその神経が判らなかったのと、それを平気で載せてた神経がいまだに判らなかったりします。当時描いていた人は今何をしてるか知る由もありませんし雑誌が続いてるのか興味もありませんが。そこらへんから妄想する人に対しての嫌悪感がはじまりました。
記憶になかったけど云われて思い出したのですが、永平寺の修行僧を見て妄想をする、という人がいて、見ていた人によるとチャットでどうも私はかなりそれに反発していたそうです。何でも妄想できる人に対して怒りをぶつけたところでしょうがないと思うのですが、思うところあって入信し帰依をし、真摯に修行に取り組んでる姿を見て妄想するということが、信仰に対しての取組みを虚仮にしてると私は感じたのでしょう。正直そういった姿勢に嫌悪感がないわけではないです。
オウムや修行僧をみて妄想するな、とはいえません。個人の自由です。私が単に内心で軽く、そういう人なのや、スルーすればいいだけのことなんですが。で、現実を見て妄想して面白がるということが私には、よく理解できなかったりします。と同時に、妄想する人を、現実をこの人は見てないんじゃないかと警戒心を抱いてないといったら嘘になります。確証はもてませんがそもそも妄想というものが誤ったものの見方を誘発している場合がよくあるとおもうからです。


運がいいのか悪いのか判りませんが、私は妄想に耽る機会というのがありませんでした。だから妄想というのがよくわかってないのかもです。妄想してる人は妄想してるだけで楽しいのかもですが、たぶんそれは無益なことであっても楽しむだけの余裕がなければできないことだと思います。妄想が有益だとは思えませんが。
学生時代は学費はともかくバイトをしないとやっていけなかったのと、そのバイト先も絶えず緊張を強いるところで(ただしそこでの経験はかなり勉強になりました)、なんちゃって社会人になってからもオンやオフ双方で現実を見て自分で判断しなきゃいけないことが多くて、妄想にふけるなどというこは時間的に許されませんでした。仮に目をつぶって妄想に耽ったとしても現実の事態はぜんぜん変わらないでしょう。靴屋小人さんが妄想の間に登場してハイハイホー!と、現実の事態を変えてくれるならいいのですけどね。


推測でしかないですが妄想の世界は甘いと思うんですよー、嫌なことがひとつないような。けど、バイキングで甘いケーキばかり食べてたら肥満や糖尿になるのと同様、妄想に浸るというのは案外危険なことのような気がしてなりません。
余計なお世話だと思うんですが。