しつこい男は嫌われるよー、というのは百も承知です。
けど、えっと、ひとりごとを続けます。


随分まえになりますが、つか、同性愛者も異性愛者も人間を愛してるんだから同じじゃないか、ということを云うた人がいたのですが、これについて別の側面からこれについて述べます。


実はこのくくりを全否定はできません。
例えば好きな人の前で、気に入ってもらおうと誉めてもらおうと、精一杯おめかししてみたりとか、勝負パンツをはいてみたりとかです。これは誰も同じかも知れないです。また、セックスのときにたぶん、普通の市井の男女も、ゲイもレズもバイも、一番気にしているのはしてる相手の身体ではなく、相手の性的快感でしょう。たぶん相手が気にしているのはいまそこにいる自分や相手の肉体ではなく、自分や相手の性的快感であると思います。たぶん誰もがセックスの時に耐えがたいよがるような快感を得るのは即物的な行為による反応だけじゃなくて、相手が自分から快感を得ていると感じるからであり、相手が自分から快感を得るのは自分が相手から快感を得ていると感じるからじゃないでしょうか。もっともセックス自体それを愛というかどうかはわかりませんが、この点、確かに異性愛者も同性愛者も変わらんでしょう。
もっとも自分の快感だけ追ってる人もいるかもですが。


しかし、同性と寝ることを禁忌ととるむきもいます。
旧約聖書を紐解けば、男と寝ることは忌まわしきことなどと書かれているわけです(→レビ記)。現実に私は同性と寝れることをカムアウトしていません。リスクがあるからです。だからといって、だれもが自分が孤立してるわけではないのです。同性を好きになるのは変なことなんだろうか、とか、異常なのでは?とはたぶん誰もが一度は考えます。しかし、変なことではないなんてことは、この世の中にいれば現在ではすぐわかることなのです。告白が困難とかの差異については繰り返し述べませんが、それを踏まえて考えていただきたいのは、大変だねー、苦労してるだろうから理解してあげるよ、というスタンスで、人間だから同じじゃないか?というのはちと傲慢なのです。根底には、ゲイ、レズ、バイをノーマルで無い、というふうに置いて区別して、で、差異について目をつむって、その上で自分と同じようなものだから認めてあげようっていうスタンスです。もちろん悪意はなくてその言葉は善意の発露でしょう。しかし、必要の無い善意の施しを受けるほど屈辱的なものは無いと思います。この●●●●●●がなにを云うてけつかる、となどとは、私は上品なので、云いはしませんが(●内は適当な言葉を入れてください)。



また、同性愛者も異性愛者も人間を愛してるんだから同じじゃないかという考え方は愛に性別は関係ないんだから性別にこだわらず異性ともつきあえということと同義でしょう。私は誘われて女性をお持ち帰りしたことが無いとは言い切れないほうなのでそれが苦ではないですが、世の中にはほんとに女性がダメな男性、男性がダメな女性が少なからず居ます。たぶんそれらのゲイやレズには火に油を注いでも理解のための潤滑油にはなりえないでしょう。その点においてもこの発言が不適当かつ、失当だとおもいます。

見てないでしょうが。