詩を大辞泉で、調べてみました。

文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。

で、えっと、確かに何かいても自由だと思うのです。その口を封じようとは思いません。たぶん、悲しみってのは日本人はかなり敏感のはずで(歌舞伎をみればわかります)、悲しい詩や、付随して暗い詩が流行るのも判らないでもないのです。それと暗い物語とかは共感をよび易かったりします。ただ、それを詩という形式にして他人に表明することにどれほどの価値がるんだろう、と、思うのです。同情をかう為?とか、愚考するのです。それとも私はこんなに頑張っても巧くいかないのーっていう不幸自慢なのでしょうか?それも詩というものの本質ですよ?って誰か説得してくれたら、ソウナンデスカ?と、呟かずにはいられないのですが。心情吐露を否定しないつもりですが、それは詩でななくて、やはり心情吐露に過ぎないと思うのです。誰かにわかってよ!と訴えかけるのは判るのですが、その個人的詩作が普遍性をもちえますか?ということなのです。普遍性を持つかどうかというそのフィルタ濾過を、実はいま、詩を書く人は作業としてやってない感じを受けてます。個人的には俵万智さんが害悪を流してるのかな?と推測しますが、日常の気分の抜粋とかストレートな心情吐露も結構ですが、で、なんなのさ?とおもうのです。
淡路島〜の歌が、未だに人々の記憶の中にあるのは、ひとり寝のさびしさとか、心情吐露とかでありながらもそれが普遍性を持ちえてるからだと思うのです。だからこそ、私のようなあまり叙情が判らない感受性のない詩についての門外漢でも、理解できるのかもしれません。