コーラを飲もうというメッセージを映画上映中に入れたところコーラの売上がいくらかアップした、という実験が昔ありました。けどこれって、実験した本人が実は信頼できないものである、と告白したにもかかわらず、ほんとに信じ込んでいる方が多かったりします。印象が強烈で、たぶんそういうものだって信じたいって人が多いのでしょう。こういうのをカクテルパーティ効果というのだと思うのですが、自分の関心のむく物以外は耳をかしにくく、関心のあるものだけ注意深く聞いてしまいます。自分のみたいものききたいものしか関心が行かなくなるのです。
テレビってすごいおっかないのは、画像があるせいか印象は強烈なのですが、さわりしか触れることができなかったりするところです。もう少し深く追求すればいいものを、というか、それは微妙に違うんじゃないのって事柄でも平気で流しますけど、言葉や画像が強烈であればあるほど漠然とした印象だけ残る。
なるべく印象だけ語ることの怖さをなんとなく理解しています。なるべく印象だけで物事を語らないようにしなきゃ、とは思いつつもなかなかできませんです。



ちとどうでもいいことですが、「よく判らない詳しく知らないんですけど」、って云って国会で質問した女性の方がいたのですが、質問するほうがよくわからないで質問する度胸がすごいよな、と思う反面、言葉が強烈であったために相手に多少ダーティな印象を第三者に残すことだけは成功したみたいですけど、よく判らないんですけどっていって質問してること自体が私は低レベルですって宣言してることに気がついて無いのでしょうか。
よく知りもしないことを言いたいことだけ云う、ということがどれほど発言者の品位を落とすかという点で、見ていて勉強になりましたが。