代理母の問題


一応触れておきたいと思います。タレントの向井さんの代理母の問題です

事実関係のおさらい

03年11月、米国ネバダ州で、代理出産で双子の男の子をもうけ、翌年1月22日に品川区に「実子」とする出生届を提出した。同区役所は預かりとして法務省の判断を仰いだが、同年6月9日に不受理の通告を受けた。
夫妻はこれを不服として処分の取り消しを求める申し立てをしたが、東京家裁は昨年、申し立てを却下。このため夫妻側が抗告していた。
関西地方在住の日本人夫婦が同様のケースで国と最高裁まで争い、昨年11月に不受理が確定した経緯もあった。それだけに今回の家事審判の成り行きが注目されていた。
(今回)東京高裁は29日の決定で「ネバダ州の裁判所が向井さん夫婦と子供の親子関係を認める判決を出しており、この裁判結果は日本でも承認される」として、東京家裁の決定を取り消し、品川区に出生届を受理するように命じた。(9月30日付スポニチより転載)


民法といいますのはわりと意思によって形成される法律関係という側面がありますが、親子関係は例外でして、意思があまり関係ありません。生物学的親子関係がそのままスライドして法律的親子関係を認めることがおおいです(養子を除けば)。至極当たり前のこととして、母親と子供の関係は分娩の事実によって親子関係が成立するという考え方がありますし、それを争った裁判もあって、判例もあります(最判S37年4月27日民集16−7−1247)。


ところが代理母の問題というのは、至極当たり前とおもわれてたことを覆す事態を誘発します。
今までも卵子は妻のものということを前提に夫の精子を用いての人工授精や匿名の男性からの精子を利用した人工授精による出産というのはあって、更に夫の精子を使いながら卵子を別の女性から提供をうけ体外受精による出産という事例はありました。また長野県下で、夫の精子と妻の卵子体外受精させ他人の女性に出産してもらうという事例もありました。向井さんの事例はこの長野の事例にほぼそっくりです。遺伝子レベルでは親子関係が認められるでしょう。上の記事で触れてる最高裁の事例というのは卵子提供者も他人であって、かつ代理母が出産して、依頼人と産まれてきた子供の親子関係を認めなかったケースです。
で、向井さんの子供たちはネバタ州の裁判で親子関係を認められてますし、また日本では親子関係と認められず、代理母の子であることを前提に日本国籍が認められないという不利益が今まであったのですが、裁判所は「向井さん夫妻に養育されることが最も子供の福祉にかなう」と柔軟に判断し、国内でも米国の裁判結果の効果が生じると結論づけています。現にそこに居る子供の福祉を考えるとき確かに裁判所の判断は妥当といえる余地はあります。


今回の裁判が個人的にすごいなとおもうのは「民法制定時に想定されていないからといって、人為的操作による妊娠、出生すべてが法秩序に受け入れられない理由にはならない」と指摘した点でしょうか。あー、じゃあ、前にもここでとり上げた松山の死後生殖の件なんかと微妙に違ってくるんじゃないか?とはおもいます。そのことがあるのでたぶん品川区側は特別抗告して最高裁の判断を仰ぐとおもうのですが。


私が保守的なのかもしれませんが、実は個人的には今回のような代理母があまり良いことだとは思っていません。
父子関係というのは悲しいかな推定に基づくものが中心になりますが、母子関係は違って今まで生殖なり出生の事実をもって生物学的親子関係がそのまま法律的親子関係にスライドして母子関係を認めてきたのですが、事実に基づかない母子関係というのは最近まで全く予想だにできなかった事態です。今回のような代理母という手段は、究極的には子宮の母は自分の子ではないということはできませんし卵子の母は理屈の上ではDNA鑑定によって自分の子であると云うことが可能です。このような状態で生まれてきた子供たちは親の意思によって母が変わるという法的に曖昧な身分に置かれます。自然生殖による子供と同じ安定性を代理母から産まれた子供たちが欠くことは、憲法が重視する平等公平の原則に反してきてしまいます。それが好ましいこととは思えないので私は子宮の母が実の母とすべきではなかったか、とおもうのです。ひょっとしたらこのような意見は少数派でしょう。


癌患者をみてきてしまったので、向井さんの苦悩や意思は理解できます。
しかしながらほんとに今回の裁判の結果がほんとに良かったのかなというと、多少の疑問符がつきます。