「やわ肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君」ふたたび


やわ肌のあつき血潮に触れも見でさびしからずや道を説く君


素朴な疑問ですがこれって高校生とか古典の教科書にあるのでしょうか。
いまさらですが私は処女でもないし童貞でもありません。道徳的な人生を必ずしも送ってないから、道徳的なことなんてほっておいて触れてほしい、というのがわかります。
個人的に何がよいかというと、これ以降の和歌って、何か感じたことをぼそぼそと呟くような和歌が多い中で、これは正面きって言いたいことを言ってるからです。
その点このダイアリーの著者は日々鬱屈してるのかもしれません。この歌が引っかかるということは。


高校生のときの古典の教科書や大学受験の参考書などあらかた捨ててしまっていますが、そのころと今とでは経験が違います。当時かんじていたことと今とでは違ってきて当たり前なのかもしれません。最近はこれですね↓ちょっと前の広告に引用があった気がします。

「あそびをせんとやうまれけむ
たわむれせんとやうまれけん
遊ぶ子供の声聞かば
わが身さえこそゆるがるれ」

梁塵秘抄です。けっこう有名な歌ですけど、ようは子供の遊びを見ていた老人が子供たちの歌声や歓声をきいて、子供のように自分の体が動いてくる、みたいな感じでしょうか。
けど、そうなのかな、と。
遊びの強調といってしまえばそうなのですが遊びと戯れを二度繰り返す意味が私にはわからない。さらに遊ぶ子供とくるわけです。
あそびとたわむれのどちらかは違う意味じゃないかと。
たわむれるって言いませんか?
セックスをしてしまった後の、微妙な、うしろめたさというか、それと遊ぶ子供の声を対比して、慨嘆してるというか、内省しているのかな、ともとれるわけです。とれないかな。
昼間からセックスなんてしないよー、という道徳的な人からの反論も可能です。

おひまな方、考えてみてください。
私が非道徳的なだけであるという気もするのですが。単に。