頭痛をひきおこしたらごめんなさい

いったん法律というものができると法がないからなにも出来ません、という言い訳は通用しなくなります。法律の恐ろしさというのはそこで、共謀罪というのは構成要件解釈の実質化というかどちらかというと形式的に解釈せずに刑法を運用している面がないわけではないところからするとさしてめくじらをたてる必要はないのではとおもいつつ、可能性として強制わいせつの実行行為以前に内心の段階で怪しそうなら立件することもできるわけで、改めて考えると危険な気はしてきました。
同じことが教育基本法にも言えます。愛国心について記述があるようですが(伝聞推定)公的システムにその記述があるところがすこし異常な気がします。そもそも愛ってなんなんだろうかと。それって甘いの美味しいの?カルピスの味?(それは初恋)総則の定義あたりに記述が増えるのかなあ。そうすると国家が愛を定義するという、面白い国になるのですが(面白いか?)。

臓器移植や脳死の問題も改正がなされたら、法が出来てしまった以上はなにも出来ないという言い訳が通用しなくなります。仏教で言う布施行に近い、いざというときに誰かの命が助かるのならば臓器を提供してもよいという子供がでたときに、その意思を尊重したくなる気持ちは私は理解できるのです。しかしながらその宗教的なものに近い意思を果たして公的社会的システムとしての法律で、移植の前提としてよいのでしょうか。
また繰り返しになりますが家族の代諾でよいとすることには反対です。
死生観の問題になりますが眼を覚ますことはないとはいえ眠ってるような心臓が動く脳死状態の段階で心臓を摘出する行為であり、私はどうしても法律でもって犠牲(この言葉よくないかもしれませんが)を要請することに家族による拒否の条項がついてもまだかなりの抵抗があります。確かに救われる命がどこかにあっても、生命の支配が他人によって支配されやすくなることにつながるからです。代諾についてですが生命の終わりは他人任せにしてよいものなのでしょうか?
安楽死もそうなのですが、意思というのは何なのか、自己決定とは何なのか、けっこういろんな重要な論点があるとおもうのです。私は別にキリスト教を否定するつもりはありませんし、キリスト教が社会に与えた影響からそれぞれの国がいろいろな立法をしていることに興味を覚えているのですが、彼らと我らの日本の差というのはひょっとしてあいまいなところをさらしてきちんと論争をして、裁判例を積み上げたり立法するところだとおもうのです。共謀罪教育基本法も重要だとおもうのですが、なぜ臓器移植法改正がぜんぜん問題にならないのか不思議でならず、またこっそりと法改正がなされることにかなりの危惧を抱いているのですけれど。

参考までに
いままでの条文を抜粋で↓えっと法律の条文を見ると原因不明の偏頭痛に襲われる方もみていただきたいですぅ。

(基本的理念)
第二条  死亡した者が生存中に有していた自己の臓器の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重されなければならない。
2項  移植術に使用されるための臓器の提供は、任意にされたものでなければならない。
3項  臓器の移植は、移植術に使用されるための臓器が人道的精神に基づいて提供されるものであることにかんがみ、移植術を必要とする者に対して適切に行われなければならない。

(定義)
第五条  この法律において「臓器」とは、人の心臓、肺、肝臓、腎臓その他厚生労働省令で定める内臓及び眼球をいう。

(臓器の摘出)
第六条  医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
2項  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。
3項  臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。
4項  臓器の摘出に係る第二項の判定は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師(当該判定がなされた場合に当該脳死した者の身体から臓器を摘出し、又は当該臓器を使用した移植術を行うこととなる医師を除く。)の一般に認められている医学的知見に基づき厚生労働省令で定めるところにより行う判断の一致によって、行われるものとする。

わかりにくいとおもいます。
なお臓器移植法の現況は移植制限法という声も有ります。
実は六条を見てほしいのですが、脳死したものの身体ってあるのですが、そもそも身体というのは生きてることを前提にしてるのです。例えば公害の規制についての法律にそういう表現があるんですけど。
で、脳死の患者さんは生きてる身体であるそれを死体として同列に扱いますよ、ということにして、ややこしいんですけども、この六条を根拠に脳死判定と臓器摘出を、脳死状態の生きている身体?に対して行っています。
わかります?
で、代諾ついての改正案↓

  臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案
 
第六条第一項を次のように改める。

  医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。

 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

 第六条第二項中「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削り、「もの」を「者」に改め、同条第三項を次のように改める。

3 臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。

 一 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。

 二 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。

条文だとわかりにくいかもしれませんけど。もうひとつの提案が子供からの臓器移植についてです。 

臓器の移植に関する法律(平成九年法律第百四号)の一部を次のように改正する。

 第六条第一項中「場合」の下に「(当該意思の表示が十二歳に達した日後においてなされた場合に限る。)」を加え、同条の次に次の一条を加える。

 (親族への優先提供の意思表示)

第六条の二 移植術に使用されるための臓器を死亡した後に提供する意思を書面により表示している者又は表示しようとする者(十二歳に達した日後において当該意思を表示した者又は表示しようとする者に限る。)は、その意思の表示に併せて、親族に対し当該臓器を優先的に提供する意思を書面により表示することができる。

おつきあいありがとうございました。
ついでにいまこれだけの法案が国会で審議されています。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji164.htm#01