あまり面白くないかもしれません。訳がわからなかったらごめんなさい。
迷故三界城 迷うゆえに三界は城で
悟故十方空 悟ったゆえに十方は空
本来無東西 そもそも東西なんてなく
何処有南北 何処に南北はあらんや
お遍路さんの菅笠にこう書いてあるわけです。当たり前ですが、文学作品として鑑賞に堪えうるわけです。かなり意味深なことばです。
四国入りするときは本を持っていかないうえ、ひたすら歩くか、寝るか、食事するか、おまいりするか、というシンプルなものになります、生活が。で、手もち無沙汰になると、勤行次第を開くしかありません。そうすると、いろいろ書いてあるわけです(あたりまえです。とても恥ずかしい話ですが、私は修証儀全文を四国で初めてよみました)。
煩悩無尽誓願断 法門無量誓願学 仏道無上誓願成 (四弘誓願文より)
煩悩は無尽だけれども誓願して断つ、とか、仏法の経典は沢山有り過ぎるけども誓願して学ぶよ、とか、仏道は果てしないけど誓願してなんとかする、とか、できないけど頑張る、とかですね。できなさそうなことのオンパレードなこともあるわけです。
ああ、そうか、そもそも四国で煩悩を滅するとか何をするとか、考える必要はないんやないかと、考えはじめたわけです。煩悩即菩提、というのは理想だと思うのですが、そこまでは棺おけに入るまで到達できないでしょう。
だったら無理のきかない程度にやれることやりゃあいいのではないかと、徳島で思い至ったわけです。これが正しい姿勢かは判りません。最初から全力投球ですっ飛ばす必要はないし、不瞋恚、不綺語、とか四国であろうとなかろうとこの先仏教徒として最低限の守れるところだけ守ろうと考えたわけです(しょっちゅう日常生活では吹っ飛びますが)。
50日で88寺廻れる方が正直羨ましいとは思います。ただ、勉強をすればするほど結願してもそれが終わりということにはならんのではないかという疑問もあります。
個人的に徳島で一番気になった戒めが「遍路自慢は遍路の恥」というやつです。このブログも遍路自慢にならぬよう気をつけたいと思います。
- 作者: 串間洋
- 出版社/メーカー: 明日香出版社
- 発売日: 2003/10/31
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
ご本人はバリバリのビジネスマンです。